シェア
赤宮千紘
2020年7月1日 09:13
コロナが本格的に流行し始めた頃、私生活が大きく変わりました。理由としては今春から予定していた同居している祖母のデイケアサービスが冒頭の影響で白紙に戻り、体と精神を壊していた母の負担も踏まえ、3月の初めに半年〜1年の目処として、勤務していた冠婚葬祭の仕事を退職し、実家で過ごすのが当たり前になった事です。元々身体は強くない方でしたが、どちらかと言えば体を動かす仕事が好きなほうでしたので、この生
2019年3月22日 01:10
母は、不憫な人間だと思い生きてきました。幼かった頃の記憶は、血の繋がった父からのドメスティック・バイオレンスで痣だらけの母です。仕事帰りの事故で片脚を十数針縫う怪我をした数日後、機嫌の悪かった父にその脚を掴まれ、宙ずりになっていた母の記憶が鮮明です。私が中学の半ばに再婚をするまでは、祖父母の元で育てられました。母とひとつ屋根の下で暮らすようになったのは、高校二年の頃からです。母は昔