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毎日を何気なく過ごしている君へ

変わらない日々を送っていると、ふと「これでよいのか?」という疑問が生まれることはだれしもあるだろう。
だが、選択を間違えたとしてもその選択が自分自身で行ったことであれば、それは誰の責任でもない自分の責任だ。

今の生活が不満なのか?
そんな自問自答を繰り返している間に時間は過ぎていく。考えないようにしたとしても心の中に沸いている「小さな違和感」は日に日に大きくなっていくことだろう。
その平凡な毎日を送っていると、突然来る「選択」に躊躇することがある。

よく言う「チャンスを掴む」のはとっさの判断と行動力だ。
あの時こうしていれば・・・そう思うのはそのチャンスを掴みかけたのに、なぜか躊躇していしまい踏み出せなかったことで逃してしまったからだ。
そんな経験はしたくないと誰もが思うかもしれないが、一定の人たちの中にはそんな経験ばかりしている人もいる。

チャンスを掴む人は日々の準備を怠っていない人だと、誰かが言っていた。確かに、突然やってくるものにすぐに飛びつけるのは日常的に「行動しているから」と私は思っていたのだが、実は行動だけじゃなく自分自身の「勘」を磨くことも大事なのではと、最近思い始めた。

ではどうやったら「勘」を磨くことができるのか

人間には「記憶」というものがあり、過去にあったもの、見たもの聞いたものをすべて脳の中に格納できるようになっている。
脳の海馬には膨大な量の情報をいったんファイルされ整理整頓した後大脳に貯められるといわれています。

通常、人間の行動は過去の経験から危険を察知したり、同じ失敗を繰り返さないようになっているはずですが、それは脳の顕在意識にあればこそ。
そこに感情が乗っていき、嫌な思い出の記憶にはなるべく近づかないようにしたり、成功体験なら何度でも繰り返せるようになっている。

ただ、感情が乗ると判断する場合にマイナスになってしまうことも起こっててくる。本当に必要なことも「これは嫌だ」と感情で判断してしまうとせっかくの良い話もチャンスロスになってしまうかもしれない。

ここでいう「勘」は顕在意識にあるものではなくて、無意識の潜在意識が経験したことを蓄積した結果だ。
頭で考えるのではなく、なんとなくざわざわするとか、違和感を感じるとかその類だ。

人間は生きていくために「防衛本能」を身に着けている。人間だけじゃなく、地球上の生きとし生けるものすべては「死ぬ」ことを避けるために頭で考えることではない「本能」を身に着け生き延びてきた。

だから何者かが発している違和感には反応するし、誰かからのSOSも察知できるようになっているのだと思う。
と、こう書くとすごく狭い領域のことのように思われがちだが、このSOSなどは周波数を伝えているわけで、下手すれば地球の裏側にいる人にまで伝わってしまうという、頭ではついていけないくらいの範囲にわたって繰り広げられるものなのだ。

では「勘」は周波数に関係するのか?

答えはイエス。地球上にあるすべてのものには固有の周波数があり、姿かたちを変え存在している。形がないものにも周波数がある。その一つが「思考」である。わかりやすいのが水の結晶だ。水が氷になる直前六角形の検証を作り個体へと変化していく。
雪の結晶なども見たことがあるのではないだろうか。そしてこの結晶は周波数を変えると形を変える。言葉や感情でも形をかえるのだ。

これはあくまでも「結果論」でしかないが、周波数を変えて氷の結晶を作ると目に見える形で表現できる。
言葉を変えて結晶が変わるなら、その言葉に左右される感情も同じではないのか。感情によって周波数は変わる。これは当たり前のことだが、言葉を発しなくとも「嬉しそうな人」と「怒っている人」の区別はつきそうなものだ。それはいつしか「嬉しそうなオーラを放っている」や「怒りのオーラが見える」という表現をされるように目には見えないけど「感じるもの」として私たちの日常にある。

ならば、感情でも思考でもないが「勘」も同じく周波数としてカウントできる。そしてその「勘」を働かせると同時に即座に行動できるようにしておくことが「勘を磨く」ことにつながるのではないだろうか。

要するに「勘」を働かせることは、私たちの違和感の受信機の制度を高めておくことと、軽いフットワークにつながる思考回路を持っておくことなのだ。
そして、ここでいう「違和感」とは悪いものばかりではなく通常にはないものとしてカウントするものも含まれる。いつもと違うことが起きれば必ず「違和感」が起こる。危険を察知するものであれば嫌な違和感であるが、新しいことが始まるときも「違和感」が起こる。それは今までなかったものが始まったり、通常ではありえないことが起こったりするからだ。

違和感を感じた時に行動に移せるかどうかが、全てのカギになる。

毎日、平凡に穏やかに過ごすことも大事だが、それに対して違和感を覚えるなら、それは行動を起こす時なのだと知っておいたほうが良い。
選択を間違えたと思うなら、選択しなおせばよいし、新しい選択をするのも良い。選択肢はいくらでもあることを知っておいてほしい。十人十色、百人いれば百通りだ。
狭い中に閉じこもるのではなく、常に広い世界に目を向けいつでも一歩踏み出せるような「準備」をしておくこと。それさえあれば、目の前に起こる出来事に一喜一憂しなくて済む。

心に余裕を持つことだ。

一人は孤独じゃない、孤立とは違う。一人の足で立つことを選んだならしっかりと自分と向き合い、心には少し遊びを持たせること。
毎日同じことの繰り返しであったとしても、必ず前に進んでいる。人は成長しているし、変わらない人なんていない。何もなくても年は取るのだから。

チャンスを逃した・・・と思うなら自ら取りに行けばよいし、自分で作ればよいのだ。そう、行動していればまためぐってくるのだから。

結論、チャンスを掴みたければ広い世界に視野を向け、日々行動して自律していくこと。
以上、日々を何気なく過ごしている君へ贈る!

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