80歳現役で生き抜く人生は輝いていた。
80歳で現役バリバリの女性に出会った。
きっかけは彼女の娘さんと話をしていた時に「うちの母はすごい、周りに人が集まってくる」という話だった。
若い頃、自由にわがままに振舞っているのは、自分一人でなんでもできると思うからだ。だけど、年を重ねできないことが増えてくると、心細くなる。年寄りの中で頑なに若い人に頼らない生活をしている人は頑固な人が多い。
何もわからなかった頃は「ただの頑固ジジイ」としか思っていなかった人のことも、自分が年を重ねた時になんとなく「他に頼れない」ことを思うと気持ちがわからないでもなかった。
なんでもできると信じていた頃でも自分の無力さに腹が立ち、打ちのめされることも多々ある。だが、精神的によりもショックなのは体力的にできなくなった時だ。
できるつもりでいてもできない。やろうとして怪我をする。怪我をしても治りが遅い。自分の力を過信してしまったことで起こる負のスパイラル。
何もかもが以前のようにはいかなくなることをまずは理解しなければならないと思った。周りに迷惑をかけないようにするよりも、周りと協力しあってやり遂げる。わがままが言いたくても少し歩み寄ってみる。
方法はいくらでもあるが、そのどれも私自身には縁遠いものに思えた。
だが、80歳で現役の彼女を見た時に何かが吹っ切れた。50年近く早起きを続け、自分のためより人のためにと行動してきた彼女の話はとても面白く刺激になった。
そして何より、こんな風に生きたいという指針のようなものが見えた。
私の母は80歳まで生きれなかったけど、周りに人がいればもっと長生きできたかもしれないと思った。誰かがそばにいることは、人生を楽しくするとともに、心も強くなる。その人のために思えると頑張れたり、自分の力以上のものを発揮できるようになる。
その女性は80歳だけど少女のようにコロコロ笑い、周りには同じように笑える人がいた。そして、見ているところはいつも相手の良いところだったりして、月並みだけど今まで教わってきたことを何十年も実践し続けるとこんな人生になるのかと感じた。
誰かがそばにいること。誰かに頼れることだけど、そうなる前にきっと自分が相当相手に対してやっているのだと思った。
若い頃はそれに気がつかず、何かあると「私はなんてラッキーなんだ」と受け取るだけ受け取って、返すことをしなかった。だが、これからはそのぶんを存分に返していくことと、それ以上にこの先お世話になる人に先に返して生きたいと思った。
人生の半分以上を過ぎ、気がついたことはこれから先は誰かのために捧げる人生も良いかもしれないということだった。
まずは、それを見せてくれている人から。その人もきっとそれを続けていくのだろうけど、その手助けになれば。
私も元気で長生きし人生を謳歌したい。そう思った。