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人生の長さを測れるとしたら、明日どう生きる?
久しぶりに友達から連絡が来ると、ほぼみんな病気になっているか、健康診断で引っかかり再検査を受けたという知らせだ。
半世紀以上生きていると、しょうがないことかもしれない。
私も何年も前から健康診断を受けるたびに何箇所か再検査がある。
年齢には勝てないのか?
10年くらい前だろうか、同じ会社に勤めていた人がある日突然倒れ、意識不明になった。
しばらくその状態が続き、会社も休職扱いになった。
その後、意識は回復したが半身に麻痺が残り、仕事は当分無理だろうからと休職から退職になった。
人生ってわからない。
自分が予測していないことが突然起こり、自分の力ではどうしようもできない状態になることもある。
前日まで一緒に働いていた彼女は急に植物状態になり、半身不随になった。
ついさっきも、当分連絡が取れなかった友達から連絡が来た。
どうやら、病の発覚で手術をするらしく少し気弱になっているように思える文章が送られてきたのだ。
無理もない。
そんなことが起こることは誰にも予測できないし、そうなりたい人なんていないから。
ただ、毎日幸せに暮らしていたいと願うのだけど、無情にもその時はやってくる。
そして、それが起きてから初めて
人生って短くてはかない。だから会いたい人に会いに行くと思うのだ。
私もきっかけはそうだったかもしれない。だけど大きく違うのは、それをいつも思っているということだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
それもよくある話で、今が大丈夫ならとりあえず大丈夫だろうと思ってしまう。
そして、また慣れたいつも通りの生活に戻ってしまう。
私は、その惰性にも似た生活に嫌気がさしていた。だから変えようと思った。いつも通りの生活は慣れていて楽だけど、違う道を選ぶ。常に新しい道を模索していく。
そういう習慣にしたのだ。
ただ後悔したくない、それだけで生きてきたが、後悔のある人生なんて誰も望まない。
みんな、死ぬまでにやりたいことはやっておくべきだと思っているはずだ。
なのに、なぜ今行動しないんだろう。
それは、人生の長さを測り間違えているからだ。
自分の人生がいつまでも続くと思っていると、物事は後回しになる。いつでもできると思うからだ。
でも、もしかするとその途中に急にできなくなることがあるかもしれない。
そう考えることはないのだろうか?
そして、命の長さの宣告は突然やってくる。その時初めて思うんだ。
やりたいことはやっておけば良かったと。
その前に、なんとなく予兆はあったはずなのに、見て見ぬ振りをするからそんなことになる。
人間には気づく能力がある。
なのに、それに気付かないふりをする。
健康診断に行き、また自分の人生の長さを勝ち取ったかのように安心していつもの生活に戻り何もしなくなる。
本当はいつどこでどうなるかなんて、神様くらいしかわからないことだ。
でも、最近、自分の人生の長さを決めるのは自分自身じゃないのかと思うようになった。
病気になりたくなくて、死にたくはないけど、もしかするとその要因を作っているのは自分自身なのかもしれない。
これは複雑に絡み合った感情や、今世の問題だけじゃないかもしれないから、断定はできないが。
何にせよ、命の長さはわからない。明日どうなるかわからないから今を精一杯生きる。
月並みだけど、それが一番人生を楽しむ方法だと思う。
目の前にあることに集中して、それを楽しめるようならきっとやり残すことはなく、死ぬ日を迎えられるだろう。
そうやって準備する人ほど長生きするというので、それも目的の一つかもしれない。
それならそれで、結果オーライ!
人生は先が見えないから面白く、未来を自由に作っていけるのだ。
そう思うと、人生に迷いがなくなるからさらに楽しくなるんだと思う。