人の思いが視れるようになると便利なのか不便なのか・・・
人間の思考を可視化することは不可能と思われていましたが、最先端の技術では言語が不自由な人のために様々なツールが生まれいて不可能ではないと証明されました。
ほら、「犬の気持ち」とか「猫の気持ち」がわかるようになったりして書籍化もされていますよね。それはまた違うことかもしれませんが・・・
ただ、日常生活を送るうえでまだまだ相手の気持ちが目に見えてわかるってことは無いようで、コミュニケーションにも心配りが必要です。
人間関係で悩むことも昔とあまり変わっていないのではないかと思います。
どんな場面でも渦中に入ってしまうと見えなくなることもあり、悩み始めると、とことんまで落ちないと気づけない・・・という人も。
そんな時はある程度距離を保ってみると見えてくるものもあります。
いわゆる「鷹の目」というやつです。
高いところから見るとわかりやすい、屋外にある迷路に迷い込んでも、空から見ると「出口はそこじゃないよ!」と分かってしまう。
人間関係も物理的に離れてしまうと「なんだ、たいしたことないな」と思えてきたり。なぜ自分がそこに固執していたかということも見えてきて、なんだか滑稽に思えてきます。
どうしても物理的に離れられない場合
そんな時は自分の「違和感」を大事にすること。
人間には「防衛本能」があり命の危険にさらされると、潜在意識の奥底深くに眠っている自分を守る本能が無意識に顕在意識に働きかけ、違和感としてSOSを出します。
そこに気が付けない時でも、なんとなく「おかしいな」とか「なんか気持ち悪い」とか、感じることがありませんでしたか?
ふと感じる感情は頭の中で考えていることじゃなくて、潜在意識の中で起こっている「なにか」によって意識に上ってきます。
だから、もしいつもと違う感覚が起きたり「違和感」を感じたら、とりあえず立ち止まって一呼吸してください。きっと自分の身を守る高度yができるはずです。
私もよくこの「違和感」をやり過ごして痛い目にあったことが何度か・・・
つい先日は、早朝から旅行に行こうと前の夜から準備万端!と意気込んでいたのに、なぜか着替えが入った旅行バッグを丸々忘れてきました(汗)
家を出る前に、確認して忘れ物はないと思っていたのに、なぜか同じ場所を何度も確認する私。時間がないと思って慌てて出かけて高速のインターチェンジの手間で「カバンがない!」と気が付いて家まで戻る羽目に
違和感があったんです。なんとなく「なんか忘れ物がありそう」とどこかで思っていて何度も確認してたのですが・・・
無事に取りに帰れたので、笑い話で済みましたけど、あのまま行っていたら、旅行中は着の身着のまま、眼鏡もなくて何も見えずに過ごしていたかもしれません。
ま、それはそれで面白いかもしれませんけどね
「違和感」ってどんなときにも起こるので、自分の違和感がどんな時に起こるのか観察してみるとよいかもしれませんね。
例えば、初めて会った人に感じた違和感はその後の付き合い方にかかわってくるかもしれません。
人間は言葉を巧みに使ってコミュニケーションをとります。ということは、その言葉が本意でなければ言っていることと、思っていることが違うからその「違い」が違和感となって伝わってきます。
だから「ファーストインプレッション」が大事なのです。
その時はその人の「思考」が可視化されたものが伝わってくると私は思っています。
その人が発している言葉ではなく、雰囲気や周波数が伝わって心地よければ(または悪くなければ)OK
悪いのは論外、なんとなく違うと思うのは、今後のために覚えておくとよいかもしれませんね。
私の友人は個人で仕事をしていて、どんな人でもお客さんになりえるからと、知り合った人すべてを「あの人は良い人だ」と言っています。
もちろん、本当に良い人も多くて(そもそも知り合いが紹介してくれる人を悪く言わない)喜んでいますが、話しているとなんだか「ん?」と思う人も。
それも自分で選んだことだし、選んだ人だから、私は遠巻きに見ているのですけどね。
でも、私たちも神様じゃないし、人の気持ちや考えていることが手に取るようにわかってしまうと、人間関係も制限されて、例えば辛い中で磨かれることもなくなってしまいそうですものね。
個人的にはつらい修業は好きではありませんが。
生きていると、良いことも悪いことも同じだけ起こるといいますが、それは自分がどう感じるかということで、私のようにつらい修業は嫌いと思っていれば、ほかの方法で自分を磨けばよいし、誰かの言いなりになって「こうしなければいけない」ということも無いのですから。
私は辛いと思っていても、ほかの誰かには「楽ちん」なことかもしれませんし。
では、誰かの思いを知ることで辛い思いをするのなら知らないほうが良いし、見えないものがあるほうが色んなことに振り回されなくて良いかもしれないし。
人も思いが視えることが幸せにつながると思えないなら、見えないほうが良いと私は思うわけです。
すべてを知っておかないと気が済まない人もいますから、あくまでも私の意見ですけどね。
人生を楽しく過ごすためには、全てお見通し!というよりも、少しだけ薄目になって見えているのか見えていないのかあやふやな状態でも良いのかもしれませんね。
顕在意識で思考すると、本能の部分に蓋がされてしまいます。
頭で考えると、駆け引きや計算が入って正しい判断ができないかもしれません。
何事も決めつけることなく、遊びを持たせて目は薄目で(笑)
「今」を楽しんでいきましょう。