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ー長篇詩 ある闇ー

ある闇           都 圭晴

(一)
心はある平穏を保っている
保たなければならなくなって久しい
選民たちが最近流行りの携帯機器で
ゲームをしている

私は窓ぎわにいながら 選民を続けている
ある考えに取り憑かれながら目を開けている
まだ10時半で昼休憩まで
1時間半も空っぽなのかと思う
何もしない 何をしなくてもいい
選民に与えられた砂時計のようなもの

株式会社ホリデーチャンピオン
この会社の闇は深い30人ほどの選民と呼ばれる社員が
何もせずに給料を貰っている

手取りも世間で言うところの
中堅レベル
この会社は 何を目的に雇っているのだろう
ここにいる誰も
触れたがらないし 知ろうともしない

もしかすると 知っているのかもしれないが
私の勘は 誰も知らないと言っている

※株式会社ホリデーチャンピオン……次世代へと繋ぐ人材ソリューションを目的として、未来への架け橋の実現を目指す。企業理念は、志から歩く明日、人の力で見つめる社会。


(二)

昼飯は牛丼チェーン店で食べる
物価が上がっているが
他店よりは安い
牛丼にのせられた葱の
シャキシャキとした食感が
鈍くなっていた頭を甦らせる

多くの者は外には出ず
持ってきた弁当、三百円で支給される
栄養を考えられた弁当を
いくつかに集まって食べている

奴らがどうしようが
何を喜び 何に怒れるかも
どうでもいい

この会社は闇に満ちている


(三)

9時から18時まで
実働8時間労働の3階事務所には IP電話ひとつ
置かれていない

私と同じように
ひとり離れて空を見上げている
四十代の
悪童という筆名で詩を書いている
御仁に話しかける

ちょうど詩作が終わったんですねと
話しかけると
悲しそうに
僕たちと違い 空が生きていて救いだよ
って言う
心に沁み込む

世にも忘れられそうなこの環境で
かろうじてここにいるのに
と私は
言いかけてやめた

悪童には 悪童の世界がある
この会社は闇が深い
その闇を確かめに私はいるのだ

悪童に 世界があってよかった
それが私には救いだった

悪童の詩を読んだことはない
評価すらされていないと思う
検索しても、アゴタ・クリストフの
悪童日記が出てきたりする
この環境で悪童が書き続けることは
この会社で感じた
いいところだ

(四)
私は昨日と同じように
15時に悪童に話しかけている
誰とも話さなくていいし
悪童と話しても意味がない
それでも悪童と空を見つめている

他の者のほとんどが
携帯機器でゲームをしている
教室で小学生に
好きなことしていいよと言っても
ここまでにはならないだろう

私は悪童のことを何も知らない
お互いに語る必要がない
悪童が次の日にいなくなっても
次第に忘れていくだろう

悪童はとてもいい詩が書けたと言って
微笑んでいた
この私が 自分のことのように
喜んでいて驚いた

会社とは
喜んでいいところだったのか

そんな言葉が出てきた
一体どんな目的があるのか

(五)
寒い季節だ
温かい事務所にいるのが普通だが
トイレに度々籠るようにしている
こぼれ話や噂を聞くために

大切なことは語られない
あと1時間で昼休憩ですね
などといった話が多い
他部署の人も
ここでは極力話を控えている

3箇所あるトイレの
他部署に近い大便器でも 語られない
選民の話は意図的に伏せられている気がする
ボーナスが支給される時期も
そういった話は語られない

トイレの壁を何度も見ているが
何も変わったところがない
誰か
残さなねばならなかった 事実はないのか
落書きひとつ ありはしない

選民はここに来て 帰る
それを繰り返している

つまらない会社だ
そう言って家で目覚めることが多くなった

(六)
私は今日も 碌な起き方ができていない
電車に揺られて 選民となる
彼らの中には
この状況を喜んでいる者さえいる

私は染まらないように
ひたすら

崖の淵にいるのかもしれない

駅に着く
することもなく歩きだす

景色だけが待ち構え
私には ここからがもう
つまらない


(七)
博士と呼ばれる同僚に話しかける
彼は携帯でデイトレードをして
何もない時間を
有効活用している
時間を消費するだけの者から見て
言わば勝ち組だ

正社員という立場と
気楽であることを優先したようだ
こういった身の処し方は理解できる

私なんかよりは
分析力や判断力に長けているので
彼にそれらしく 会社のことを
聞いているのだが
答えてくれない

直接的に聞くことは 避けている
上に報告されても困る

彼は物知りなのだが嘘をついている
彼はデイトレードで負けても
勝ったふりをしている

本当に 利益を出しているのだろうか
そうまでして賢いと思われたいのか
この事務所で賢さなど
たいしたステータスにもならないのに


(八)
昼休憩で吉野家の新メニューを食べて
その後 眠ったふりをして
博士の話を聞いている

みんなが あなたは私達とは違い
頭がいいのですねと
関心なく
お世辞をならべている

博士は私にはやさしい
それが
私があまり社交的でなくても
みんなから
変な目で見られない理由だろう

たぶんだ
博士は会社のことを
知ろうとはしていない
それは
ある種の賢さだと思う

私はお世辞ではなく
彼の賢い部分を言葉にする
それが嬉しいのだろう

博士に飽きて 眠っていたのだろう
気がついたら悪童がいる
18時になったよと

夕焼け小焼け
夜に近づく
帰りの電車は すこしやさしい


(九)
今日で定年退職する人がいる
この先 どうしようと言っている
ボーナスを貰えてからでよかった
と気を取り直してもいる

みんな 寂しくなるねと言いながら
どうでもよさそうだ

我々に業務はなく
あったとしても 会社の備品を運ぶような
10人いれば5分もかからないものだ

絆、なんてものは ない

名前を思い出せない
話したこともない 中年の親父が
お仕事小説が原作の映画を
Netflixで見て
音を垂れ流している

悪意
事務所ではあまり見ることのない
感情に驚く
悪意 誰も指摘しない

みんながどうでもいい世界に
私はいる


(十)
30人ほどが 毎日出勤するのだが
遅れたものは厳しいペナルティを
与えられる
誰も遅れることがないので
罰則を知らなかった

ここにいるほとんどが
結婚していない
もう何故だろうとも思わない
夫婦で事務所に来ている者もいる
誰も何も言わない
自分自身を傷つけたくないのだろう

ここに来てから 退職した者も多い
気持ちは分かる
何もしないで生きることは
朽ちていくことだから

新卒でやってきた人もいる
すでに5年目となり
若さだけでムードメーカーとなっている

訳が分からない
分かりたくない
私とは 私たちであってはならない

この事務所には監視カメラがある
それが水面下での 平穏な静けさを
作ってくれていると思う

監視カメラこそが
正しくて
我々の従属的な心こそが
諸悪の根源なのだ

私は あり得ないような世界に
放り込まれている
悪童が詩作している
私には詩が書けなさそうだ
でも
何かを書こう と思った

書くことで気付けることがある
まずは文章力をつけるために
日記をつけることとしよう


(十一)
 今日は何もすることがない。いい加減眠い。書くことがない。そんな私を見かねて、博士がものを書く基本を教えてくれた。ずっと私がA4のノートを広げているのを見て、面白そうだと思ったらしい。博士が言うには物事や対象を様々な方向から見て考えることが大切らしい。水を飲むのか掬うのか、それとも植物にあげるのか。もしくは水なのか、氷や水蒸気なのかでも全然違う考えや見方となるようだ。成程、と感心しながら2人で考えていた。意外に楽しい。やらされるしかない毎日が少しでも彩ればいい。


(十二)
次の日も その次の日も
ノートを広げている
何も書かれていない白紙は
安心できる

忘れていた感情
はじめてもいいんだと気付く
そんなことよりも
会社の闇を掴まねばならない

真剣と想像の狭間にいる


(十三)
 今日で日記が4日目になる。三日坊主を避けられたのは良かったが、日付は金曜日だから明日や明後日は書かないだろう。博士は書きたきゃ書いてもいいだろう、と言っていた。3日越えたのでとりあえずはいいことにしようかと満足している。
 今日もすることがない。何の興味もない。実は、私は血液が固まらないか心配している。脳が凝固しないかもだ。でも、安心している。博士に教えてもらった「対比」という思考法のおかげだ。私が固まってしまうなら、事務所の人達はみんな動かなくなるだろう。


(十四)
私は日記キャラとして
おかしな地位を築きつつある
どうでもいい
そんな小さなことでも 彼らには
面白がるしかないのだろう

日記をつけて一週間が経っている
面白がられるのは好きではない
悪童と 空を見つめている

博士に言われた通りに
悪童に、詩を見せてと言った

彼は私にだけ見せてくれた
たゆたいつづける 現代詩というものを

彼の詩はすり抜けていく
この事務所から
みんなすり抜けられたら なんて思う

ありがとう


(十五)
 書きはじめて百五十日になる。時間だけが過ぎていく。私の書き出しはほとんど、今日もすることがない、そこから始まる。私にとってのテーマは、何もしないことだ。ずっと、立ち止まっている。春がきた。四年制大学を出た新卒の女の子が配属された。その子は、我々と違うところがある。美しく可憐であった。博士が張り切って賢人節を披露し、中年の親父が世代間格差をネタに話し出し、他の男も交じろうとしている。女性らは邪魔してやろうとちょっかいを出している。私は久々にこの会社に光が差したように思い、彼らを横から観察するだけで生きとし生けるものとしていられた。私は、なんて簡単にできているのか。悪童だけは、今日もひとり空に立ち向かっている。


(十六)
私は新卒女性の
愚痴を聞いている
中年の親父がしつこくて
口が臭いようだ

昨日は 博士のデイトレードが
うまくいっていなく
ついレバレッジを最大にして
貯金がなくなりかけた と
相談を受けたと聞いた

私は彼女が嫌いだ
だから いつも頷くことしかできない

彼女は私を捲し立てる機関銃だ
私の日記は
良くも悪くも変わっていく

変化は残酷に別れを告げる


(十七)
 今日は月末、給料日だ。しかも金曜だ。機関銃、連射砲、ガトリング女王、毒舌アマゾネス。彼女はいつしか覇気がなくなって顔色も良くない。美しさだけは保たれていたのが逆に痛々しかった。若いのにどこにも行かず休日も寝ているそうだ。彼女が来て半年が過ぎた。悪口だけが磨かれていき、性格の原型も残ってはいない。装う、みんなの求める何かを装う。そして、磨かれて破裂する悪口は、悪童の現代詩のように多彩な比喩で構成されている。日記を書いているが、そのことに関しては書かないことにしている。私は、自らと彼女のために忘却することを誓った。濁るのだ。心が汚れていく。彼女の言葉を携えて悪童と空を見ることはできなかった。彼女はきっと、私の脳を毒性麻痺させようと企んでいる。


(十八)
事務所内で盗難が起こった
最近呆けてきた定年間近の女性の
思い出のエメラルドがなくなった

彼女は 自慢したかったのだろうと
新卒女性から報告、のような罵声を浴びた

私も 嬉しそうで誇らしげな表情を
忘れたいけれど覚えていた
宝石なの と笑顔で話していた

罵声と雑言が甦って
脳内が地震のように 揺れた

頭痛がする
もう帰りたい
いつも以上に帰りたい

事務所に 上司と呼ばれる偉い人が来た
私は何かを期待している
監視カメラはすべてを明らかにするだろう


(十九)
 今日もすることがない。監視カメラの映像を待つことも面倒だ。犯人は誰でもよく興味がなくなっていた。結局のところ、犯人は見つからなかった。私の推測を書くと監視カメラはダミーで、何の生産性もない我々にお金を費やすことほど会社にとって損なことはない。被害に遭った女性は、犯人が見つからない訳がないと唾を飛ばし抗議している。どのくらい経っただろう、30分は無駄な押し問答が繰り広げられている。博士は呆れている。私と同じように監視カメラがダミーだと悟った、もしくは最初から分かっていたのだろうと思う。そんなことよりも早く帰りたかった。問答が終わった後、帰る時間までだろう、新卒女性から悪口的シュールレアリスムを炸裂され続けるのだろうから。日記を書く手が震えている。


(二十)
もう、訳が分からない
最初見た彼女はどこへ行ったのだろう
あの頃は帰ってこない

精神は彷徨い始める
私は覚醒を迎える

私はシュールに結ばれていく詩行
言葉だけが世界で
比喩的に危ないランチュウを
抱えて移している
踊り子に身を預けて
邪鬼が舞う

流されて流されて
また 精神が降りてくる
ここがはじまりだよ、と

詩行が並んでいる
シュールレアリストがメゾフォルテを行う
いくつもの幻想で世界がただよっている
修羅のゴンドラが運ばれる


(二十一)
 私が一番無害なのである。なぜなら私はいつも何もすることがないからだ。選民は何もしていないのに、何かしている気になっている。そんなことよりも重大事件だ。悪童の詩のノートがどこかへ消えた。業務中に詩を書いていたなんて、言えなくてひとりおろおろしている。私には許せることと許せないことがある。博士なんか破産しようがどうなろうが知らないけれど悪童の空だけは守らねばならない、本気でそう信じている。私は上司に必死で抗議した。悪童は確かに悪いが、人の物を盗む者はもっと悪い。定年間近のエメラルドを盗まれたおばさんに続いてこれを許してはならない。これは、ここで働く者に対する侮辱行為でしかないと言い切った。私は、目の前の人間を動かしてひとり監視カメラの早送りを見ることになった。監視カメラは悪童を映していた。新卒の、あの女がゴミ箱に棄てているのを発見した。私は怒りで震えるしかなかった。動けないのだ。悪口が怖い。私は弱さ、そのものだった。


(二十二)
 私は監視カメラである。監視するために生まれたカメラでありいつも何もすることができない。悪童は詩を書いて改行したところから言葉を連ねている。私は日記を書き記すことにしている。悪童は隠れて詩を書いている。空だけが彼の味方で、私は詩人としての彼を応援している。言葉でしか祈れないものがあるように、言葉でしか救えないものがあると思う。頑張れ。私はどうして日記を書けているのだろう。会社は詩を禁止して日記のことは認めている。詩は空想や自らの想い、いや世界を書き記す役割がある。日記は事実に基づいたもので、会社的には選民たちの現場を記して欲しくはないはずだ。私は監視カメラのような気がする。私はダミーではないがダミーである。みんな偽物の世界だから無限なんだ。なんだろう、嫌な予感がする。弱さは剥がれ落ちていくしかない。抜け落ちていく感情には帰る場所がある。あの女の、シュールレアリスムが紫電一閃と貫いていく。罰を受けている。


(二十三)
空にぽつん
間違いは届けられたのかしら

信じるしかない私

鏡には 微笑み


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