エッセイ 若い女性のファンは
若い女性のファンは
今年は関西が野球で盛り上がった年だ。セリーグは阪神タイガース、パリーグはオリックス・バファローズが優勝して日本一を争った。関西の野球ファンには格別なシーズンとなったろうと思う。十一月二十三日の両チームの優勝パレードも御堂筋や三宮で行われたのもつい最近のことだ。
パレードには日頃から応援している選手たちを一目見ようと、ねぎらって優勝の喜びを分かち合おうと多くのファンが訪れた。私もその一人で阪神タイガースのちょっとしたファンである。球界一の一番打者の近本光司さん、理知的な投球を魅せる伊藤将司さん、十年連続で広島東洋カープの菊池涼介が獲っていた三井ゴールデン・グラブ賞に選ばれた、セカンドの中野拓夢さんを見に行っていた。中野さんは今年、最多安打の記録も出している。
御堂筋や三宮のパレードには計六十五万もの人が駆けつけたようで、街一体に人が溢れて遠くも見渡すことができないほどだ。人がたくさんいると揉め事が起こるようになっているようで、私の横で若い女性が二人、おばあさんと言い合いをしていた。話を聞いていると、座り込みが禁止されているにも関わらず若い女らはビニールシートを敷いて荷物を広げ座っているのだ。要するに邪魔なのだ。交通整理や誘導の方、警備員の方はそれを見ても何も言わず黙っている。注意する仕事は誰に割り当てられているのか、たぶん気がついた人がすればいいのだが一向にそんな気配はなかった。おばあさんの後ろには小さな子どももいて四番の大山のうちわを持っている。彼女たちはオリックスのエースである山本由伸さんのユニフォームを着て悪態をついていた。図々しいにもほどがある。
山本選手は野球だけでなく、爽やかなイケメンで好感度も高く、若い女性ファンもたくさんいる。彼女たちを見て、山本選手のユニフォームを着てこんなところで恥をさらすなと言いたかった。山本選手にも失礼だ。なぜか怒りよりも、わたしが敬してやまないお笑い芸人であった島田紳助氏を思い出してしまった。氏の言葉をまとめた『自己プロデュース力』には以下のように書かれている。〈こいつらはキャーキャー言って追いかけてくれて、一見、人気のあるような雰囲気をつくってくれる。こいつらは俺らにとってすっごい必要や。すっごい必要やねんけど、めちゃめちゃ邪魔や。こいつらが俺らをダメにしよる。こいつらを笑わすことは簡単やから、こいつらを笑わしにかかってしまう。その時、俺たちは終わる〉若い女性が全員そうであるとは思わないが、私もそれには肯ける。雰囲気に流されずほんものを見つめるファンは財産だと思う。彼女たちには野球に対する敬意や好きだという気持ちがあまり感じられなかった。沢村賞を三年連続で受賞した山本選手の投球の凄みを彼女たちが分かっているかは甚だ疑問だ。
よく考えるのであるが人気とは何なのだろう。世間で有名になるとはどういうことなのだろう。人気なんてものに左右されない実力とは何なのだろう。
マスメディアは人を、好感度抜群の人気者に仕立てることがある。そういったことに一役買ってはいるが実際はどれだけの本当のファンがいてくれているかが大切だと思う。もしも山本選手に今の輝きがなくなって普通の選手となってしまったときには、たぶん若い女たちは第二の山本由伸を見つけているだろう。
人気とは良いときは効果をもたらすのだが、悪いときは文化を破滅させかねない。例えば、若い女性ファンがたくさん押し寄せている時は良いのだが、そのファンが次の対象を追いかけ始めたら元の対象は空洞化してしまいかねない。加えてよくあることだが、ファンの投票制を導入しだすと文化は終わってしまうと思う。基準が客となってしまって、自分が入り込む余地がなくなるからだ。どちらにしろ、客に媚びるような文化は長続きしないと私は考える。
結局、女たちはいかつい阪神ファンの男性に怒鳴られてどこかへ行ってしまった。そして無事にパレードが始まった。そしたら目の前の女性が三人、顔の上に近本選手の顔の書いてあるうちわを出して上下に動かし始めたではないか。小さな子供が後ろにいるにもかかわらず。それを彼女たちは知っててやっている。よく見ると、彼女たちも山本選手のユニフォームを着ているではないか。彼女たちも良きファンではなかったのだろう。
ファンが文化を盛り上げもするが、ダメにもするものだと私は寒気を覚えた。パレードの熱気が妙に対照的で不気味に感じられた。