オーストリアの「ブドウ畑の村のプロジェクト」が5年越しに完成するとき(2)
オーストリアの田舎の人たちは都市の人よりもさらに自分たちの地域に誇りを持っている。世界的に有名な都ウィーンなんかより、自分たちのところの方が何十倍もいい場所だと思っている。
そんな田舎の小さなブドウ畑の村に、プロジェクトをつくるためウィーンから乗り込んだ私たちの話の続き。
今までの話はコチラをお読みくださいー
タウンホールの設計コンペに勝って、喜んだのもつかの間、新村長の選挙でストップがかかったと思ったら、新村長からプロジェクト変更のため、呼び出し。契約が危ういと思ったら、当初よりもっと大きなプロジェクトへの変更を依頼される。といった、波乱万丈のはじまり。
ともあれ、プロジェクトが大きくなるということは、嬉しく光栄なことなのだけれど、果たして村の人は異邦人の私たちを受け入れてくれるのかー
まず、オーストリアの中でも日本ではあまり知られていない「ブーゲンランド州」について、少しお話をしよう。
今はオーストリア、でも昔はハンガリーだった地域~ヨーロッパの歴史
オーストリアには9つの州がある。ウィーンやザルツブルグ、チロルなどは良く知られている名前であると思うが、東の隣国ハンガリーとの国境沿いにあるのが「ブーゲンランド州」。
1989年ヨーロッパの東西を隔てていた壁が崩れたあの歴史的な瞬間、一番初めに東側から西ヨーロッパのオーストリアへ人々が足を踏み入れたのは実はこのブーゲンランド州であった。
そのブーゲンランド州ができて今年で100年。
とお思いになるだろうが、これはヨーロッパではさほど珍しくない。
1918年に倒れた時、650年以上にわたって繫栄したハプスブルグ王家はオーストリア・ハンガリーを2重帝国として治めていた。
そして、ハプスブルグ王家が倒れてオーストリアが共和国になったとき、ハンガリーとの間で国境が決められた。
今のブ-ゲンランド州および隣接するハンガリーの一部(そしてスロベニアの一部)は、北がエースタハージー家、南がバタヤニー家(両家ともハンガリーの血統の貴族)が領主として治めていたが、国境が決められた時この地域がオーストリアとハンガリーに分けられてしまったというわけである。
だから、国境沿いの村の標識はドイツ語とハンガリー語の2重表記であるし、スロベニア語を話す村や、クロアチア語を話す村もある。オーストリア国籍でドイツ語をしゃべっていても、民族的にはハンガリー人や、スロベニア人やクロアチア人の文化と血がながれているのである。
ちなみにチロルなども東部や北部の地域はオーストリアで、南チロルはイタリアに属する。もともと「チロル国」として独立していた歴史がある。だから、チロルの人は今でも、チロルはオーストリアでもイタリアでもなく、”チロルだ”、という(笑)
さて、今回私たちがプロジェクトをする村は南ブーゲンランドにある人口1500人ほどの村である。
昔、ハンガリーだったという特徴のほかに、ここ南ブーゲンランド州の10の特徴をまとめてみた。(あまり、知らないオーストリアの田舎、チョット覗いてみてください!)
南ブーゲンランドという地域~早わかり10の特徴
1.南ブーゲンランドは、なだらかな丘陵地が続く気候の比較的穏やかな地域である。特に非常においしい赤ワインが出来る地域でもある。ブドウのほかにリンゴやプラムなどの果物や作物も多く栽培されている。
2.「のどか」といえば聞こえがいいが、時々、「ボーッとしている」地域性がジョークのネタになったりもする。テーブルに向かい合ってでなく、一列に座ることを「ブーゲンランド座り」と言ったりする。子供のように何でも一列目に座りたいブーゲンランド人の特性から来ているらしい。(皮肉を込めているけど、かわいいなぁ…と思うのは私だけだろうか…笑)
3.チロルやザルツブルグなどの他の地域と比べ、有名でなく注目もされていない。したがって、観光政策もそれほど洗練されていない。反対に、観光地化されていないので、その素朴な自然を求めて「天下の観光地」チロルなどから移住してくる人もたまにいたりする。ともあれ住民は、そんな自分たちの地域の価値に気づいていない。自分たちのところは何もないと思っている。でも、観光の仕方が”ソフト”なところは、ある意味でいい。
4.インフラ開発や工業化からも、いい意味でも、悪い意味でもチョット取り残されてしまっている。実際に、中心地域まで通っていた電車も廃線になってしまい、今はバスが唯一の公共交通である。
5.なのにもかかわらず、バスで2時間弱、車で1時間半のウィーンへ通勤している人は少なくない。地元では就職先があまりないから。なかには、ウィーンに小さな賃貸を借りているが、毎週末には必ず家に戻ってくる人も多い。
6.もちろん進学や就職で地域を離れる人もたくさんいるのだけど、定年退職すると戻ってくる人も多い。みんな、故郷が好きらしい。仕事さえあれば、故郷を離れたくないと思っている。
7.温泉地やゴルフ場もあったりする。観光収入、就職先のほとんどはここから。皆、家が大きいので、自分のところでペンションや民泊をやっていたりする人もいる。でも冬は、ほとんど観光客はこない。週末は自分で家をつくったり、庭をつくったりする人が多い。ここでは、みんな自分で日曜大工(今の言葉だとDIY)をするのは当たり前らしい。
8.冠婚葬祭および教会の行事では土地の人が集まる。土地の音楽隊サークルやコーラスサークルなど伝統のある集まりがあり、お祭りのときにいつも演奏する。
9.オーストリアの中では、一番土地が安い。農耕地が多い。
10.それでも、先祖代々自分の家に住んでいるので、皆特別困っていないし、危機感も感じていない。このままでいいと思っている。
ここで、日本で地域づくりに携わっている方などは、
”これって違うところもあるけど、
メッチャうちの地域と似てるところもあるな―”
と思われた方も多いのでは!
ということで、そんな地域で私たちはプロジェクトを始めた。
ブドウ畑の村の新しい村長さんと彼が抱いた危機感
高齢化・人口減少の波はもちろんヨーロッパの田舎にも来ていて、危機感を持ち、その対策を始めている自治体もあるのだけれど、
やっぱり南ブーゲンランドは皆「のどか」にしている。
そういうことにあまり興味がない。
空き家は増えているけど、今に始まったことではないので、
危機感を持つまでには至らない。
(大体、朽ち果てている中世の城や要塞は見慣れているし…)
それでも、そんな状況に危機感を持ったのが先の選挙で選出された新しい村長さんだった。
ところで、この村の新村長さんは地元で信頼されている家族の一員で、弟さんが地元でも大きい運送業をしていて、奥さんはペンションを営み地元観光局の理事でもある。彼自身は、なんとオーストリア内務省防衛局のキャリア組で、定年まで数年を前に、この村の村長職を掛け持ちしている。
5年間、彼とプロジェクトをして来た今だからこそ言えるのだが、この「掛け持ち」システム(今のワードでいうと「パラレルキャリア」)は非常に良いバランスで作用している場合が多い、ということ。
もちろん、地域をよく知っていて、地域を愛しているということは必要最低条件であるのだが、それに加え、彼の場合は地域の外で起こっている幅広い範囲の状況や情報(防衛局に勤めているからと言って機密情報ではありません!)も知っているということが、地域の将来を考え、決定していくうえで大変重要な役割を果たしていると思う。
その村長さんが、のどかにのんびりとと暮らしている村人に向かって、
と声をかけたのである。
村にまだ無くて必要だから「タウンホール」をつくろうと行われた当初の設計コンペのプロジェクトが、”地域のビジョンを持ったプロジェクト”に育っていったのはひとえにこの村長さんがいたからこそだと思う。
かくして、”のどかにのんびりと暮らしている”地域の人に、今の状況と未来のビジョンを理解してもらうための長い道のりが、村長さんと我々の二人三脚で始まったのである。
最初のワークショップ~いきなり上勝町の葉っぱビジネスの話
そんな村の人との、まずは最初のワークショップ。
南ブーゲンランドの「のどかな村」に外から(ウイーンから)やって来た建築家チームが村の将来についてのワークショップをする。しかも、一人はなんだかアジア人。(彼らにとって日本人と中国人の区別はあまり関係ない)
どうせ、私は言ってみれば、よそ者を通り越し、「火星人」。
そこで、私は突拍子もないことを思いついた。
これは、こちらの人に果たしてうけいられるのだろうか。
次回に続く。
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*「徳島県上勝町の葉っぱビジネス」や「ゼロウェイスト・プロジェクト」は地域づくりに関わる方にとってはいまや知る人ぞ知る地域創生の例ですが、これってなに?と思った方は、「上勝町の葉っぱビジネス」についてググってみてくださいね。
こんな突拍子もないことを異邦人の私が、オーストリアの片田舎の村人に話して反応はどうだったのか!?
次回をお楽しみに!今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
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