ヨーロッパのクリスマスー「サンタクロース」と「ニコラウス」と「クリスキンデル」ープレゼントを持ってきてくれるのはいったい誰???
12月1日は、、、アレを開ける日。(ワインではありませんよー)
ウィーンからホットなクリスマス情報をお届けしています。
アドベント・カレンダー
そう、すでに日本でもおなじみ「アドベントカレンダー」の
1日目を開ける日!です。
ヨーロッパでは大人も子供も指折り数えて待つクリスマス。
楽しみだけど、子供が小さかった時は親としてそのミッションを達成するのに割とプレッシャーだった。夜中に気づかれないように作業をすることが…
まず、11月30日の夜中ー子供が寝た後ーが大変なミッションの仕事だった。
12月1日、子供が起きるとまずすることは、アドベントカレンダーの1日目を開けること。それまでに24か所すべてのポケットを埋めなければならない。
我が家の子供はチロルのおばあちゃんから、手作りのアドベントカレンダーを生まれた時にプレゼントしてもらった。
とっても素敵で、暖かくて、しかも、めっちゃクリエイティブなそのアドベントカレンダーは、子供が12歳くらいになって、「もうサンタさんなんていないんかなー」と気づいたであろう、その数年後くらいまで活躍した。
中にはお菓子や小さなおもちゃが入っているのだけど、それを秘密裏に調達し、秘密裏にすべてのおうちポケットに入れる。12月1日に間に合うように!
11月30日は毎年徹夜だった。(どれだけ力入れてるんや!➡はい、凝り性の私です。)
まあ、自分も楽しかったので、今となれば、よい思い出です:))
ところで皆さん、この2つのアドベントカレンダーの違い、分かります?
正解は…
最後の日です!(よーく見てくださいねー)
注意!オーストリアは24日、イギリスは25日がプレゼントの日!
イングリッシュティーのアドベントカレンダーは最後の日が25日。つまり、イギリスでは25日にプレゼントを開けお祝いします。
そして、息子のアドベントカレンダーは、24日が最後。なぜなら、オーストリアでは24日の夜にプレゼントを開けるから。
クリスマスのメインイベントのお祝いの日が、同じキリスト教の国でも違うんです。面白いですよねー。
なぜなら、イギリスの多くの人はプロテスタント。
オーストリアはカソリックだから。
ウィーンに来る前に留学で2年間暮らしたアメリカ。
クリスマスに日本には帰れない私を、同級生のサリーはいつもボストンの自分の実家に招待してくれました。彼女のご家族はプロテスタント。
24日の夜(夜中!)にたくさんのプレゼントを包んでそっとクリスマスツリーの下に置いておく。寝ている間にサンタさんが煙突からプレゼントを持ってきてくれるーことになっているから。
(ちなみにサリーは4人もお兄ちゃんがいました。)
そして、25日の朝、おはようのあいさつと共にクリスマスツリーへ。
プレゼントを開けた後、ターキーやパイが並ぶ、クリスマスの食卓へ。
なんと、、、
24日の夜にサンタさんが煙突から入ってくる前に、みんなプレゼントを開けちゃうじゃない!!!!なんでーーーーーー!!!!
そして、オーストリアでは、プレゼントを運んでくるのは
「クリスキンデル」でサンタクロースではないのです!!!
「クリスキンデル」とは、直訳すると「キリストの子供」
とはいっても、キリストのご子息ではなく(笑)
「キリストに仕える天使たち」と言ったところでしょうか。
(しかし、目には見えないということなので、確認したことはありませんが!)
12月6日にもうサンタ・クロースが来ちゃってる!?あなたは誰?
オーストリアでの最初のクリスマスの日からさかのぼること18日。
なんと私は12月6日にサンタクロースがウィーンの街をちょろちょろしているのをあちこちで目撃する!
えっ!!!サンタのおじさん、ちょっと早くない????
今日はまだ12月6日だよ。
12月6日は聖書によれば、聖ニコラウスが生まれたとされる日。
彼は3世紀から4世紀にかけて、ローマ帝国リキュア属州(今のトルコ)の大司教だった。多くの人々を救いとても崇敬されていた人格の持ち主で、貧しい子供たちにも食べ物などの贈り物をしていた。
ということから、カソリックのオーストリアでは12月6日に聖ニコラウスがナッツや果物などを良い子に持ってくる。
だから、伝統的には、実は12月6日がそもそも子供がプレゼントをもらう日なのだ。
サンタクロースとニコラウスとの関係は?ー本当の「クリスマス」を知ろう
そして、この聖ニコラウスが「サンタクロース」の起源であると言われている。
では、ニコラウスはどうやってサンタクロースになったのか?
オランダでは14世紀くらいから「シンタクラース」祭が行われていて、17世紀にアメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝えたということが語源になっているとも言われている。
そして「サンタクロース」や「煙突」や「靴下」の「起源」に関してはヨーロッパ各地に様々な伝承がある。
デズモンド・モリス『クリスマス・ウォッチング』(扶桑社)「6 子どもたちはなぜクリスマスに靴下を吊るすのか?」によると、
そして、フィンランドにある言い伝えの伝承には、「聖ニコラウスが煙突から入ってきた」とあるそうである。
こうみると、何世紀もの間に、様々な国でそれぞれ伝承されたものが、まじりあって今に至るということが面白い。
で、なぜ、そのプレゼントの慣習が12月6日でなくて24日や25日なのかというと、どうやらこれは、キリスト教会が、各地で伝承・崇拝されているニコラウス祭とキリスト誕生のタイミングを合わせたかったからだとも言われている。
実際に正教会系の国では、12月6日に子供たちは靴下にお菓子をもらうが、12月25日は礼拝に行く日でプレゼントはない。
これこそ、多様性の文化の面白いところなのかなと思う。
ちなみに、クリスマスにツリーを飾るのも、その下にプレゼントを置くのも
19世紀前半にハンブルグの裕福な家から始まって、オーストリアの王族や貴族に伝わり始めたそうである。
(実はこれも歴史が浅い慣習だったのですね!)
なので、オーストリアではクリスマスの伝統的な祝い方は、クリッペと言うキリスト誕生を表すミニチュアの小屋を飾って祝うこと。
今でも、田舎の方ではクリッペを飾って(自分で木を彫ってつくる人も多い)クリスマスをお祝いする家が多い。
ヨーロッパにいて思うコト
と言うことで、コカ・コーラその他のメーカーがつくりあげた消費のための「クリスマス」ではなく、本来こんな歴史があったんだーと知るのも大切だとなーと思います。
オーストリアで生まれ育った我が家の息子はともかく、
日本では25日の朝サンタさんからプレゼントをもらっていた子供たちが、
親の転勤でオーストリアに来たら、
24日の夜に(しかもサンタではなくクリスキンデルから)プレゼントをもらう同級生がいる。
親御さんはどうやって説明をしているのだろう…
と、この時期が来るといつも余計なことを思います。
でもまさしくこれが、子供たちに一番わかりやすく"多様性"が生まれる歴史を理解してもらえる機会なのかもしれないですね。
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今回もお読みいただきありがとうございました。
ステキなクリスマスをお過ごしください。
アドベントのウィーンより
MIYAKO
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