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正義について

 「正義の女神」は右手に剣、左手に秤を持ち、目を閉じているか目隠ししている。正義の行使とは、対立する両当事者を秤のみによって公平に扱う営みで、法と裁判はその不正によって生じた損害を補うという形で正義を実現する。

 「正義」の形式的正義は、「等しい者を等しく扱え」ということ。実質的正義とは、単に安楽なだけの社会をよしとするのではなく、さらに社会が「正しく」あることを望む声に応えるもので、他の尺度とは別格の大前提となるものだ。たとえば人生のスタート地点から発生している現代の貧富の差を可能な限り小さくするような政策が必要ではないかという考え。

 不正を匡すという意味での正義の原点は女神ディケーが示す「各人に彼にふさわしいものを与えよ」。したがって、不正をなしたものは裁きと刑罰を受けねばならないという掟。この命令は、都市国家においても人が作る法を超える絶対的なものであり、王や貴族といえども従わねばならず、もし反すればその者の家系やポリスは必ず滅びると言われるほどの権威を持っていた。アリストテレスはその内容を分析し、

適法的正義==法に従って行為すること
特殊的正義==平等を実現するための理論
分配的正義==各人の価値に応じて財や名誉を与えること
矯正的正義==生じた不平等をなくし、現状回復すること
交換的正義==共同体の中で異なる物財を交換するために等価にすること

 現代において議論の的になっているのは分配的正義の定義の意味についてで、その中で「価値」は、分配基準がいったい人のどういう点を基準と考えるのかという点で見解が対立している。

 アメリカの公民権運動を見ていたロールズは、すべての人々に平等に基本的自由への権利を保障する政治と法の原理を追求する途を突き進むようになった。また当時は常識とされた功利主義が大切だとはいえ、そのために権利や自由を蹂躙される人々の存在が許容されてはならないとした。

 ロールズは、すべてのアメリカ国民に「対等な市民」としてそれぞれの価値観・ライフスタイル(「善」)を自尊心を持って貫くことができる自由への権利が保障され、かつ誰の自由と権利を犠牲にされることなく、社会全体の福利が増大されるような政治社会の原理を、新たな時代の「正義」として提起するに至った。しかも自分が提起する正義の原理が、考え方や価値観の違いに関わりなく、万人によって合意されるはずだと主張した。

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