ノージックとロールズの論点
ノージックは、「人はみな異なる。全員が住むべき最善の社会が一つしかないという考えは、私には信じられない」マキシミン原理だけが人間の考え方ではないから、それに基づく正義の二原理だけが正義ではないという。
ノージックが尊重するのは、個人が他人の自由を侵害しない限り自分が望む生き方を貫く自由。なぜならロックにならって、個人は生まれながらに自分の身体、生命、自由を所有しており、それを守ること、侵害されないことを自然権として持っているからだという。そこから自分が所有する自分の身体を使って自分の思うように生きること、また自分の身体による労働で獲得したものを自分の財産として支配できることが正当化される。だから、ノージックが理想社会とするのは、異なった人々が、それぞれ自分が望む生き方を試すことができるコミュニティを随意に作り、結果として複数の多様なコミュニティが並立している状態である。コミュニティどうしは相互に侵害しない。個人の自由とともに、その財産権も本人の意に反して侵害されてはならない。
一定の要件のもとでノージックは財の獲得と移転は正しいと考え、そしてそれがノージックにとっての正義である(権原理論)。その結果状態はどうであろうと関係ない。この考えから、ノージックはロールズを結果状態をいじることによって財取得・移転の正義を歪める「結果状態原理」者として非難する。しかし、自由意志による贈与は正しいのであり、高額所得者の助け合いは、人の自己所有を侵害する構造的原理によってではなく、自発的な贈与によって行われるべきだと考えている。ただし、寄付するもしないも本人の自由であり、それは政府といえども強制できないとする。
またノージックは才能を、個人がその身体同様、生まれながらに身につけているから必然的に本人一身専属のものととらえている。才能の具備は、出生時の条件と同様でまたまたそうだっただけである。
しかしロールズは、その才能を教育や鍛錬によって自ら育てたこと、そして「その才能を自分の前だけでなく他人の善のためにも寄与するために使った」ことによるという。才能は偶然の所産だから、自分のためだけでなく、他人の暮らしを良くするためにも使うべきだという考えがここに示唆されている。
ロールズはこうして、人々が持つ多様な才能を社会の共通資産として組織化することによって、社会的協働における相互の有利化を一層充実させることができるのだからそうせよと問うている。これがいわゆる「才能は社会の共通資産だ」というロールズのキャッチフレーズの意味であり、それは「友愛」の現代版である格差原理の考え方に沿っている。この場合、ノージックは、他人への貢献としての友愛は、あくまでも高額所得者の自由意志、自発性に求めるべきであるというだろう。
<次回で終の予定>