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「そう」ならない保証はどこにもない(山田詠美『つみびと』書評)

ちょっとまえに山田詠美さんの『つみびと』を読みました。映画『子宮に沈める』のモデルにもなった大阪二児放置餓死事件を、色んな登場人物の視点からえがいた小説。わたしはこれまで詠美さんの小説で手に入るものは全部読んできていて、あの方の文体には馴染みがあるはずなのに、読んでる途中で、誰が書いた小説かわからなくなった。不思議な感覚だった。これは誰だ、と思った。おいくつになられたかはっきりわからないのだけど、まだまだこんなにも印象が変わるんだ、と底知れない思いがした。凄い人だ。かっこいい。

わたしはよく未解決事件や凄惨な事件を調べるので、この事件のことも知っていた。陰惨で、息苦しく、言葉にならないほど悲しい事件だ。人が理不尽に殺される事件はどれも顔を歪めてしまうほど痛ましいが、子供が苦しんだすえに亡くなる事件は特に目の前が暗くなる。わたしが未婚でまだ立場的には子供であり、子供のときの無力さをよく覚えているからというのもあるが、自分が28という、母親になってもおかしくない年齢でもあるため、母親にもかなり感情移入してしまうからだ。許せるか許せないかという話になれば論ずる余地もなく許せないが、自分がこんなふうに狂わない保証はどこにもないとも思う。親にも男にも友人にも仕事仲間にも頼れず究極まで追い込まれたら、すべてを投げ出してしまうというのも、とりたてておかしな精神の動きではないと思うのだ。臭いものに蓋をするように、愛しているはずの子供たちを外側から鍵までかけてリビングの一室に閉じ込め、置き去りにした母親。子供は、圧倒的な現実だ。世話をしなければ死んでしまう。おまえたちはわたしの宝物だよ、と言ったその口で、お荷物のくせに、と吐き捨ててしまう、その、胸を塞がれるような矛盾。

この事件を起こした女は、まだ子供の頃に母親が出奔して以来、下のきょうだいの面倒を見なければいけない立場に追いやられた。父親は金こそ稼いでくるが家の中のことには無頓着で、まるで子供の面倒を見なかった。まだ自分も甘えたい盛りのころに、自分より幼いものの面倒を見なければいけない。それは想像を絶するストレスだっただろう。彼女は、そういうたぐいの我慢を強いられて育った人間だった。

彼女の境遇を知って、愛されなかった子供は親になっても自分の子供を愛せないとか、虐待の連鎖とか、そういう言葉を使うのは簡単だ。でもわたしは、自身が愛されなかったり虐待をされたりしても、自分の子供にはそんな思いをさせまいともがいて実践する人たちを、これも調べてたくさん、知っている。この女も、最初はそう思っていた。子供をたくさん愛そう、自分の家族を作ろうと奮闘していた。しかし次第に経済的・精神的に追い込まれていく。そのとき、彼女は、誰かに助けてほしいと言えなかった。子供の頃、どんなに助けてほしいと思っても誰にも助けてもらえなかったから、「追い詰められたときに誰かに助けてほしいと伝える」ということが、彼女の選択肢には入らなかった。それが、この悲しい結果に繋がったのだった。

子殺しの事件は、調べれば調べるほど、他の凶悪殺人にはない鬱屈とした苦しさを感じる。ストーカー殺人、強盗殺人、人を殺してみたいという殺人衝動に駆られた猟奇的殺人、死刑になりたいからやったなどという唾棄すべき動機の殺人。そのどれもに先立つのは怒りだ。許せないと思う。けれど子殺しには、なぜそうなってしまったのかという虚しさが最初に浮かぶ。

きっと殺したかったわけではないだろう。人を殺したいなどという欲求を持つ人間はごく僅かだ。しかし子供を愛せない親は現実に存在するし、産んだからといって必ずしも愛着が湧くわけではないのも知識として知っている。だからといって、殺す必要はないはずだ。育てられないのなら、乳児院や児童養護施設、市町村の家庭児童相談室に相談して養子縁組をするという選択肢もあるし、経済的に困窮しているのなら生活保護や各種手当を受けるというのも手段のひとつだろう。

でもこういうのは所詮外野の意見で、追い詰められて渦中にいる人間には、そういう選択肢は浮かばないものなのかもしれない。そもそもこういった知識がなければ、どこに頼っていいのかもわからないだろう。わたしも調べて知っただけで、もっと若かったら思いつかなかったかもしれないし、もしスマホやパソコンを持っていなかったら、そういう情報を得ることもできない。

虚しいのは、どこかで止められたはずだ、と思ってしまうからだろう。いろんな選択肢があって、そちらを選んでいれば、殺さずに済んだかもしれない。親の人生も子供の人生も、滅茶苦茶にならずに済んだかもしない。それなのにこういう最悪の結末になってしまったことが悲しいのだった。

これからのわたしにできることは、今後きょうだいや友人が子供を産んだとき、精神的に独りにしないこと、そして自分が親になったときも独りにならないことだ。加えて、いろんな選択肢を知っておくこと。誰かを助けたり、自分が助かったりするために。

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