「事実を歪める権力」「ウソを押し付ける権力」に抗う
大内裕和・武蔵大教授の研究不正調査は、2度の調査期間延長がなされ、本調査開始からすでに210日が経っている。大内氏の不正をどうにかしてごまかしたいが、簡単にいかず苦慮しているのではないかと私は想像している。
大内氏の盗用は大きく2種類あり、段階的に発覚した。
最初は2020年7月だ。大内氏の単著『奨学金が日本を滅ぼす』(2017年2月発行)の中に、大内氏と私の共著『日本の奨学金はこれでいいのか!』(2013年10月発行)の三宅(本稿筆者の三宅勝久)執筆部分(2章)と酷似した記述があることが発覚、私は驚いて大内氏に事情説明を求めた。
この説明要求に大内氏がようやく回答したのは2ヶ月後の2020年9月。代理人の樽井直樹弁護士を通じて回答文が届いた。盗用剽窃ではない、従前(三宅より以前に)記事等で発表ずみである、というものだった。
引用したつもりが不適切だった――といった言い訳を予想していた私は上の回答に驚いた。そこで、大内氏が(三宅より以前に)記事等で発表したという記事(多数あった)を図書館で探し出して調べた。すると、それらの記事の中に、私が2012年に雑誌「選択」で発表した無署名記事の一部と酷似した部分があることがわかった。
パクリではないかとの指摘に対して、自分のオリジナルの文章なのだ、三宅より前に書いたものがあるのだと豪語し、証拠にいくつもの記事を示した。ところがそれらもまたパクリだったのだ。
この時点で大内氏の不正は確定した、はずだった。ところが大内氏はここから奇策に出る。二度目に発覚した「選択」記事からの盗用が疑われる自身の雑誌記事や講演録、著書(最終的に15件)について、「選択」記事の存在は知っていたが読んでいない、との強弁をはじめた。当時大内氏が在籍していた中京大の予備調査に対し、「選択」記事は読んでいないとの釈明を行った。
あきれたことには、その一方で、同時進行していた私との示談交渉(大内氏側からの申し入れ)では、「「選択」記事を読んだ」ことを前提に、訂正・謝罪の上解決金を支払うとの和解案を提示した。二枚舌を使っていたことになる。
示談は決裂する。その理由は、大内氏が提示した和解案のなかに、三宅側が、大内氏の盗用を批判した記事を削除する、という条項があり、拒否したためだった。
おそらく、中京大の予備調査は「読んでいない」で逃げ切り、三宅とはうまく和解して、万事うやむやにしようと考えたのだろう。大内氏が「選択」記事を読んでいることを代理人の樽井弁護士が知らないはずがあるまい。「読んでいない」と嘘の説明を中京大学に行っただけでなく、その後の著作権侵害訴訟でも「読んでいない」と嘘の主張を行った。
なお、示談で「『選択』記事を読んだ」ことを前提に交渉していたのに、訴訟では「読んでいない」と矛盾する説明をしたことについて、訴訟で樽井代理人はこう述べている。
「早期に解決するため」
私は早期解決など望んでいなかった。意味不明である。弁護士倫理上の責任を問う余地があるのではなかろうか。
著作権侵害訴訟は、私の記事が著作権法の著作物にあたらないといった理由で敗訴した。中京大の予備調査委員会は、本調査不要だとして門前払いした。
恥も外聞もなく嘘を駆使し、見て見ぬふりをする学者仲間らの協力もあって大内氏は窮地を脱する。
そして2022年4月、武蔵大学に転職する。転職した事実を私が知ったのは大内氏自身がツイッターで報告したからだ。やましさがあるだろうから、ひっそりとしておけばいいものの、わざわざ転職を公表した。私の目には不用意にみえるが、「盗用」問題は終わったと安心したのかもしれない。
武蔵大への転職を知り、私は、打つ手ができたと思った。研究不正の調査は所属する研究機関が行う。前職場の中京大は本調査を行っていない。したがって、本調査をするよう武蔵大に研究倫理違反の告発をすることが、手続上は可能なはずだ。
はたして、武蔵大予備調査委員会は本調査開始を決定した。2022年12月から調査がはじまる。その過程で、「『選択』記事は読んでいない」という大内氏の言い分を決定的に崩す新事実が発覚する。
日本学生支援機構が銀行に借り入れている額が「1兆円」との記述が「選択」記事のなかにある。大内氏の記事にも同じ記述がある。これまで私は、「1兆」という数字は財務諸表から拾ったものとばかり思って気にしていなかった。ところが、じつは正しくは「3800億円」で、「1兆円」は間違いだと気づいたのだ。
つまり、三宅が書いた「選択」の記事は読んでいない、類似した表現になったのは偶然である、という大内氏の説明が本当であれば、大内氏の記事にある「1兆円」の説明がつかない。偶然三宅と同じ間違いをしたとでも言うのだろうか。まずありえない話である。
「「選択」記事は読んでいない」という大内氏の説明は完全に崩壊した。嘘であることが露呈した。
早い段階で「引用のミスだった」として謝罪していれば、まだ救いようがあったのかもしれない。だが「読んでいない」と強弁してきた以上、逃げ道はなくなった。「読んでいない」という大内氏の説明が信用しがたいとなると、悪意をもって三宅の記事を引き写したと判断するほかない。
そうした事実を確認したがために武蔵大調査委は困っているのかもしれない。
大内氏の不正を追及しながら感じるのは、「事実を歪める権力」「ウソを押し付ける権力」の大きさである。嘘に屈服すればこれらの権力をさらに増長させることにつながる。多くの人にとっては些事かもしれないが、私にとっては大きな意味のある闘いである。
読者各位の応援をお願いする次第である。
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