「意味」はモチベーションと行動を生み出す
気になっていた本、牧野圭太 著『広告がなくなる日』を読んだ。何で気になったかと言うと、本の仕掛けが面白いから。
なんと縦開き。
縦開きにも驚いたけど、「はじめに」から本文へ、本文から「おわりに」へ移るときの文字の向きが徐々に変わっていくことのほうに自分は注目してしまった。
縦開きの本は初めてで、普段の読書と比べたら確かに読みづらさはあった。でも別に読めないわけではないし、何かいつもと違う変わった本を読んでいるわくわく感みたいなのは凄く感じた。面白い読書体験だったと思う。
あとは、デスクトップPCの画面が本を開いた状態をキープする支えになったこと。本を開いて何も置かなくても見ながら打ち込める・確認できること。いつもPCに打ち込みながら本を引用するとき、スマホとか別の本とか肘で押さえながらでやりづらさがあったが、これにはちょっと感動。縦開きだからこそ気付けた点。
「進化する」と「文化する」
印象に残った言葉が「文化する」。対義語として牧野さんが造った言葉のよう。
「文化」と聞くと、古き良き伝統文化というポジティブなイメージと、悪しき習慣みたいなネガティブで変われずにいることをイメージした。
そこから、「進化」とは進んでいく、アップデートされていく感じ。一方で、「文化」の「文」は手紙のことを意味するし、手紙って後に手元に残るから(捨てたら残らないけど 笑)「文化」は後に残っていく感じがしてきた。
(中略)テクノロジーなどの「進化」は「物理的」に人を救い、豊かにしますが、文学のような「文化」は「精神的」に人を救い、豊かにしてくれるものです。物理的に豊かになったこの社会で、どこか生きづらさを感じるのは「文化」の欠如が原因ではないか。【引用:p.41】
「文化の欠如」とは、生活していて自分の中に残っていかない感じなのかなと思った。今は役立つことよりも意味のあることが求められている時代。便利すぎてツールやサービスに任せていて、自分で体験することの意味や価値、自分が関われている感覚が少ないから、豊かだけど豊かではない感覚が生じるのかもしれない。
本質を捉えるためのきっかけ
何のためにこの仕事をしているのか。
何のためにこの手続きをしないといけないのか。
慣習だから、ルールだからと意味を考えずにやっていることがあまりにも多いと思う。自分もそうだったが、意味を考えずにやっているときは「そういうものだから」「しゃあない」と片付けて考えることを停止している。1回「何のためなの?」って問い直すきっかけがないと、考えることを停止した状態から脱け出すことさえできないと思う。そのきっかけは、自分でできたら良いけれど、誰かに問われてはっとする体験とか、それこそ広告を見たときに考えてみることもできる。考えて「やっぱりおかしい」「まずいんじゃない?」と思えると、何だか焦ってくる。それが行動力にも繋がるのかもしれない。
苦手なことだけど、大事だし必要なことだと思っているのが、本質を捉えること・それを人に理解してもらえるような説明をすること。どうやったらできるだろう、できた完全な状態というのもまた想像しがたいけれど。
この2つを、広告ってまさにしているなあと最近感じていて、どうやっているんだろう、そもそもどんな仕事なんだろうという興味もあって、読んでみたところがある。
昨年の遅いインターネット会議でも同様のことを言われていた。
「モノを考える時点で広告的思考」を取り入れる点が触れられているが、それぞれが企画をする時点で、と言い換えられるかもしれない。自分が感じていたことだけでなく、ほかにも小難しい課題もユーモアで表現したり、ビジョンを生み出したり…なども挙がっていた。どれも特別なことではないけれど、企画や発信をするうえではどれも大事な点だと思う。
広告は自分とは離れた領域だけれど、企画や発信すること、モノを生み出すことは多くの人が何かしら携わっていると思う。ここで言われる点をもとに考えることで、物事の本質を考えるきっかけになり、そこで意味が見出せたらもっと捉え直そうという行動にも繋がるのかもしれない。
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