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過激な発言をする理由

過激、極端、ゼロイチ、全否定。。。
穏やかな議論を望んでいても、物言い一つでうまく伝わりません。
伝え方が下手なんだろうな、と思う反面、目的達成のためには仕方ない、と思う自分もいます。自己弁護、言い訳かもしれない、社内ツイートです。

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おはようございます☀️

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伝えたいことを誤解なく伝えるのは、むずかしい。

強調して伝えようとすると過激な内容だと言われる。
従来のやり方の変革訴えがが強すぎると、過去の全否定に聞こえる。
全否定しているようで申し訳ないと思いつつもやめるわけにはいかない。
それが私が演ずる役割だから。

「できていること、できていないことにハイライトを当てる」
とりわけ、できていないことを何とかするのが改善。なので、ここを強調しがちだ。
モノづくり改善、変革、新しいチャレンジ。大学卒業して社会人になった直後から30年以上携わり、そうした物言いが体に染みついた。なかなか抜けるものでもないだろうと諦める。
このため、現状否定と受け止められて軋轢を生むことも多いが、仕方ない。
軋轢を厭わないことが成果につながってきた。
ケンカを売る気はないことは、そのうち理解されるだろう。勝手に思い込んでいる。

現状を理解する。実現したい状態やあるべき姿を考える。
実現したい状態と現時点の状況とのギャップを「問題点」と呼ぶ。
今の状態も、なにがしかの活動が進んでいて、人によっては「そこそこできている」と言うだろう。別の人がもっと先を目指したいと考えると、現実とのギャップが生まれる。そうしたギャップを「問題点」として指摘するのが私の役回り

問題認識は目指している風景の違い。実現したいと思っている風景は十人十色

目指す方向、目指すゴールをすり合わせることが大切。軋轢はその出発点だと思っている。
だから、敢えて軋轢を生んでいるように見えるし、私自身がそう感じる時もある。過激な発言をぶつけて、反応を引き出す方向に事を運ぶことが習い性。

お互いの価値観の違いはあっても改善したい思いが一緒なら、ポジティブ・コンフリクトの後には、両者の合意点としての第3のアイデアが生まれる。
「三宅にあんなことを言わせんな」
反発の思いが改善エネルギーの源泉になれば、結果としては新たなエネルギーを生んだことであり、嬉しい事でもある。
改善活動、変革活動を進める事が目的なのだから

ムカっとされるかもしれない。ストレスを生むかもしれない。
それでもやめない。
その先にはきっと、みんなの笑顔が待っていると信じているから。
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胸をひらいて、笑顔でいい1日を😄

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最後までお読みいただき、ありがとうございます。





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日々精進、自己変革中のコーチです。
興味を持って頂けましたら、こちらまで --≫ coach.miyake1959@gmail.com






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