不耕起栽培を身体が動くうちに
最近よく口ずさむ歌の一節だ。
考えるよ、どう進めば楽なのかを。
面倒なことが多くある。
99%は人間関係だ。
100%かもしれない。
しかし現時点の感覚では、その面倒を乗り越えるために人間関係を無理しようとは思わない。面倒なことは面倒じゃないことで塗り重ねようと考えている。
どう進めば楽なのか。
いずれ自分の身体も動かなくなる時がくる。それはある日に突然「うわ、動かない」となるものではなく、徐々に動かなくなっていくんだろう。
死ぬことに対する恐怖は、死そのものへのではなく、動かなくなっていくことへの恐れなのかもしれない。死そのものは怖いより寂しい。
だから今、動く内にたくさんのことを楽にするよう方向へ動こうと思う。
「不耕起栽培」という言葉に出会った。
農業において「耕す」ということは必要不可欠で、それこそが農業であると考えていた。甘かった。広い広い世界には「耕さない」農業が存在する。
耕さないことで土を育てるという方針らしい。人の手ではなく、土の中に存在する微生物や植物の根の力によって、土壌の力を強くする。
注意しなければいけないのは、防草と防虫だ。耕さないことで草が生えやすく虫が生きやすい環境になるという考え方もできる。自然のままの状態とはつまりそういうことだ。育てたい作物にとっての天敵は自然の中に確かに存在する。
しかしまた面白いのが、防草、つまり草刈りにおいても「耕さない」考え方は適応できる。わざと草を伸ばしておいて、それを刈らずにただ倒していくという防草の方法があるという。倒すことで土の表面に草が被さるので、土に太陽の光が届かずその下には雑草が生えにくいという。
メカニズムは納得ができる。
さらに「根っこマルチ」なるものがあって、厚さ3センチほどの堆肥や土にわざと草を生やし、いい感じに伸びてきたら土ごとひっくり返して防草したい箇所に敷く。草を刈らずに倒すのと同じ理屈で、根っこマルチの下に敷かれた雑草は光を得られず育っていかない。根っこマルチの表面は根っこの渦になっているので、雑草が育つための土がない。
不耕起栽培の考え方をサトウキビ栽培に適応し、生えてくる雑草には根っこマルチで対応する。
もしこの流れが成立するなら、サトウキビ農業に化学肥料や農薬、除草剤が要らなくなるのかもしれない。
ああ、おもしろい。
すぐに試したい。すぐに試して結果を観察したい。
耕す必要もなく、施肥や防除作業の量も減る。あるいはなくなる。
どうすれば楽なのかを考えるのだ。
もちろん、不耕起栽培が楽だと言っている訳じゃない。コストの比較だ。
怠けたい訳じゃなく、選択肢を増やすためだ。後継してもらいやすくするためだ。
2024/06/19
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