もう戻りたくない
昨日は2か月前から決まっていた食事会でした。
同い年の学校の違うかつての高校球児と、
年は一回り先輩のご夫婦。
同い年の「熱闘!!48年会」という
全国規模の会の沖縄支部の会と
いう大義名分で集まりました。
同い年で興南高校出身の、
「タイテツ野球馬鹿」(https://ttf.ti-da.net/)
という人気野球ブログを
書いている平良哲哉さん。
同じく同い年で、夏の甲子園で準優勝した
沖縄水産高校の屋良景太キャプテン、
甲子園で12本のヒットを打った仲村雅仁さん。
沖縄水産高校名将栽監督の娘で
沖縄水産高校野球部のマネージャーだった蔵当志織さん。
そして、子ども4名を甲子園に出場させた
砂川正美・修子さんご夫妻。
場所は北谷デポアイランドにある
『甲子園スタジアム』さん。
いつも行きたいと思っていたお店でした。
『甲子園』をテーマにしているお店だけに
僕らの今日の場所には一番ぴったりのお店。
大画面で1991年甲子園での沖縄水産高校
大活躍の試合を流してもらいながらの会。
とっても楽しかったです。
その中で一番聞いてみたかったことを
甲子園で大活躍した屋良さん・仲村さんに
聞いてみました。
「もう一回、高校野球時代に戻れるとしたら戻りたい?」
応えは全員
「もう戻りたくない」
とのこと。
あの5万人の大観衆に囲まれて試合したことは
「とってもいい経験」
ということでしたが、
甲子園であの大観衆の中で野球するのは
もういいとのこと。全員同じ意見でした。
なぜなのかはそれぞれの考えがあると思いますが、
僕が勝手に予想するには
『やりきった』
と思えるまで野球をしたのではないかということ。
前年も甲子園で準優勝して、
そうとうなプレッシャーで出場した1991年夏の甲子園。
6試合目の決勝戦で大阪桐蔭に負けるまで
プレッシャーの中、5試合も勝ったという経験。
厳しい練習や怖い栽監督(栽監督すみません)の
もと野球をやりきったという大きな自信じゃないかと思います。
僕は補欠でもあったし、
甲子園には行けなかったので
「あの場に立てるならなんだってしたい」
と思うところが正直あるのですが、
やりきった本人たちはそれが微塵もない。
正直うらうやましいと思えます。
同じく甲子園に出ることができなかった
興南高校出身の平良哲哉さんも
僕と同じ意見でした。
人生では『もう戻りたくない』と
言えるほどやり切ったと感で
人生の最後を迎えたいなと
大きな時間軸で考えてしまいました。
それぞれがそれぞれの道を進んでいますが、
甲子園で準優勝したことを自ら話しすることは
ないとのこと。
僕だったら営業に活用するのに…
と思ったのですが、彼らはそういうことはない人格者。
自分自身の小ささを感じた場面でもありました(笑)
過去の栄光によりかからない彼ら。
仲村雅仁さんにいたっては、準優勝のメダルも
「どこにあるかわからない」
とのこと。
「さがしてメルカリで売ったら高く売れるはずよ」
って言ったら
「さがそうかな」
と言っていました(そういうことをしてはいけませんッ(笑))
最後に聞いてみました。
県大会準決勝で僕ら那覇商業との対戦、
試合前どう感じていた?との質問に
仲村雅仁さんは
「厳しいけど勝てると思った。」
のこり二人は
「7:3で負ける方のイメージが強かった」
とのこと。
那覇商業でベンチ入りギリギリの僕は言いました。
「試合前勝てると思っていたけど、
試合中は大きなカベが立ちふさいでいる
感じだった。
『勝てると思ったのが間違いだった』
と思た。」
と話したら、
「そんなことはない。見ている人も含めて
勝利はどこに行くかわからないと
みんな思っていたよ。」
とのことでした。
屋良景太キャプテンにこれから先どうやって生きていきたいか聞きました。
「人が幸せになるためにお手伝いをする生き方をしたい」
と言っていましたが、
「そう言ったこと明日には忘れている」
と言っていたので、
忘れないようにこのブログに残しておきます(笑)
熱闘48年会!!沖縄支部、平良哲哉代表の
おかげでこういう楽しい会ができました。
てっちゃん本当にありがとう!!!
甲子園スタジアムのオーナーご夫妻含め、
スタッフさん、ステキな場を提供してくれて
本当にありがとうございます。
なんか30年前を振り返ることができて
人生の土台には野球で学んだことが
多くあるなと改めて気づいて、
少し人生の楽しさを感じさせてくれた会でした。
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
今日は日曜日。
お仕事の人もお休みの日とも、楽しい一日をお過ごしください♪
日曜日だけど、金陽でした(^^
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ連続221日目)2023.2.26
(※あくまでも宮城の個人的な感想、意見です。あしからずm(__)m)