
フリーターの青年が描いた世界一のマンガ
世界一のマンガ家にはこんな歴史があったことを知りました。
今年の3月1日にお亡くなりになりました。
亡くなってから今日でちょうど9か月目です。
↓
仕事を辞め お金が無く
フラフラとしているフリーターの青年
とある雑誌を読んでいると
“賞金50万円”
そう書かれたモノが目に入る
それに釣られ23歳にして
初めてマンガを描いた
のちにこの青年が
世界でおっとも有名なマンガ作品を描くとは
この時まだ誰も知らない
どうせ売れるわけがない と
ペンネームではなく
本名を使ったことが一番の後悔と
にちに語った
この青年が初めて描いたマンガは
入選はしないものの
“センスを感じる”と編集者の目に留まり
そこからマンガの道へ
読み切り作品を何度か出し
編集者と打ち合わせを重ね
少女のロボットが主役のマンガを描き
これが異例の大ヒット
アニメ化もすぐに決まり
最高視聴率は今では考えられない
36.9%と一大ブームを巻き起こした
しかし数年連載するが
アイディアが湧かなくなった と
新しい人気作品を作る条件で
連載を終了
そしてあらたに生まれたのが
誰もが知るマンガ
「ドラゴンボール」
多くの少年の心を掴んだ男
彼の名は
「鳥山明」
彼の作品は30年以上
強さの象徴として
今なお少年たちのヒーローとなっている
ドラゴンボールは鳥山明が好きな映画
燃えよドラゴン から
インスピレーションが湧いた作品
連載当初はアラレちゃんの後
ということもあり注目されたが
アンケートの順位が下がっていき
主人公悟空の魅力が足りないと変化を加え
誰もが知る
人気作品となっていったのは
あまり知られていない
↑
(TikTokにんにん教さんより)
23歳で初めてマンガを描いて
あそこまですごいマンガ家になるのも
初めて知りました。
よく調べてみると
賞金50万円でたばこ代にしたかった
とのことでした。
僕の小学校の頃にやっていたアラレちゃん
みんな見ていました。
マンガで資料率36.9%って
すごいことですね。
その後の作品として期待されていた
ドラゴンボールが最初はよかったが
だんだん人気がなくなって・・・というのも
初めて知りました。
でもそこから改良を加えていったこと。
そのときの心境も知りたくなりました。
アラレちゃんの大ヒットがあったから
ドラゴンボールが世の中に
受け入れられなくても
我が道を行く・・・
ということができたと思います が
ここから軌道修正。
悟空が戦って強くなっていく
ストーリーにして
人気が大爆発していく…
プライドを一度自分自身でぶち壊したのでしょうね。
そこができるからすごい。
アラレちゃんのヒットで満足しない
あくなき探究。
その謙虚で、素直な心があったから
あれだけヒットするドラゴンボールという
マンガが生まれたのですね。
「売れると思っていなかったから
本名で応募した
それが最大の後悔」
というところもなんか好きになるところです。
鳥山明さんを通して
成功する人の流れみたいなものを
感じることができたお話でした。
昨日は今年最後のキズの舐めあい飲み会でした。
ご参加の皆さんありがとうございました(^^♪
今回は告知して5時間で満杯に。
1名オーバーでの開催でした。
去年もNAHAマラソン前日にやっていたみたい。
走る気ないのはバレバレですね(笑)


今日もお付き合いいただきありがとうございます。
よい日曜日をお過ごしください♪
NAHAマラソン走る方は体調気をつけて走ってください!
日曜日だけど、金陽でした(^^
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ連続投稿865日目)2024.12.1
沖縄の生命保険セールスマン
(※あくまでも宮城の個人的な感想、意見です。あしからずm(__)m)