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人類にとって祭りは必要か?

人間にとって「祭り」は必要か?
この壮大なテーマ(おおげさなッ)に
想いをめぐらせました
 
それはなぜか…
 
実は昨日、「半地夏祭り」が開催されました。
本来は7月23日の予定でしたが、
コロナの感染拡大で延期になっていたのが
昨日9月24日に行われた次第です。
ちなみに、「半地夏祭り」とは
国頭村字半地のまつりで
今回で25回目の開催です。
以前(2022.7.30)の投稿でも説明させていただき
ましたが、僕の本籍地のある字です。
いろんな恩義があるので毎回参加して
お手伝いさせてもらっています。

半地夏祭りのゲート


 昨日はやきそばとやきとりとやきいかを
パックに詰めるのが主な仕事でした。
もしかすると、昨日一日だけの限定にすると
僕が沖縄で一番やきいかを
パックに詰めた男ではないか
と思っています(どうでもいい)。
 
やっぱり祭りはいいです。
コロナ禍での中止もあり、
3年ぶりの開催となりましたが、
会場の皆さんのボルテージの高まりを
やきいかをパックに詰めながら感じていました。

開始10分でこの大勢の方が
ここだけで半地区民の2倍はいる


今年は国頭村内の祭りもコロナの感染拡大で
すべて中止になり、
唯一この半地夏祭りだけが開催になったとのこと。
半地区民だけではなく、
国頭村内外から多くの方が参加してくれました。

祭りの最後には恒例の花火です


 
そこでふと考えました。
「人間にとってまつりは必要なものなのか?」
 
僕が考えないといけないものではないのですが、
考えてしまいました。
僕は、当日のお手伝いだけですので、
苦労はまったくありませんが、
半地区民の苦労は相当なものです。
「ここまで難儀してなんでやるんだろう…」
当日しか参加しない僕でも半地区民の
苦労を推し量るとそう考えているので、
1か月前から準備している半地区民みなさんの
中にはそう考えている方もいるかもしれない…
そう考えると、人生の中で一度でも、
祭りのことを深く考えてみよう
(そこまで深くは考えていませんが)
と思いました。
僕の人生の中でも数少ない
半地区民への恩返し(大げさなッ)
になるのではと考えて調べました。
 
世界中にまつりはあります。
日本にもいっぱいの祭りがあります。
 
祭りについて調べてみました。
【お祭りとは】
日本のお祭りの本来の目的は
「神様に感謝する」こと。
「祭り(まつり)」という言葉の語源も
「祀る(まつる)」です。
神を慰め、祈願すること。
日本人のお祭りに対する思いを理解する上で
重要なのが、
「ハレ」と「ケ」の概念。
「ハレ」とは「非日常」、
「ケ」は「日常」。
祭りは 「ハレ」であり、
華やかに執り行うことで「ケ」をリセットする
意味があります。
日本人は、この「ハレ」の機会を楽しみにし、
「ケ」に日常を生きる活力の源としているのです。
(全日空さんのホームページより引用)
 
われわれはこの「ハレ」である「祭り」を楽しみに
「ケ」の日々の苦労を乗り越えている。
少々の苦労「ケ」は、
年に一度の祭りという「ハレ」でリセットされる。
祭りを味わって、また一年一生懸命生きていける。
 
半地区民がこの「半地まつり」を簡単に中止にせず
執念で実行までもっていったのには
この「ハレ」と「ケ」の精神によるものとすると
理解ができます。
 
そういうことをやきいかをパックに詰めながら
感じていた「半地夏祭り」の一日でした。
 
ということで人類にとって祭りは必要かの答えは…
「必要」
という答えになりました。
来年はコロナの影響受けずに開催できるといいなぁ
と願っています。
 
今日も宮城のどうでもいい「日々感じること」に
お付き合いいただきありがとうございます。
三連休の最終日。
よい休日をお過ごしください♪
日曜日だけど、金陽でした(^^
 
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ67日目)2022.9.25




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