WBCで明後日に対戦するイタリアの監督が
あの
「マイクピアザ」さん。
野茂英雄投手のロサンゼルスドジャース時代の女房役(キャッチャー)。
強肩強打の選手。
起立したままの姿勢で
フルスイングしてホームランを打つ、
すごい選手でした。
そのイタリとあたるのも楽しみですね。
そのマイクピアザさんを久しぶりに見て、
この人のことを思い出しました。
『野茂英雄』
この人からどれだけの勇気をもらったことか。
これは僕だけではないはずです。
(野茂英雄さんのことをウィキペディアから)
1990年大阪近鉄バファローズに入団。
「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍した。
NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。
5月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で先発投手を務めメジャーリーグデビューを果たし、村上雅則以来32シーズンぶり2人目の日本人メジャーリーガーとなった。
MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている[1][2]。
NPB/MLB通算最多奪三振(3122)記録保持者。
(以上ウィキペディア情報)
野茂英雄さんがメジャーデビューした1995年、
MLBは長期ストライキで開幕が1か月遅れでスタート。
ファンも冷めかけていた時に
日本から海を渡って来たアメリカでは無名の新人が大活躍。
それが野茂英雄さんのデビューでした。
MLBを一人だけで救ったとまで言われた年でした。
(またウィキペディアから)
ドジャースに入団 ドジャース在籍第1期の活躍
1995年2月13日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。契約金200万ドル(約1億7000万円)[20]、年俸は10万ドル。近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円になった。
(以上ウィキペディア)
そうなんです。
その前の年まで1億4000万のお給料から
わずか980万円まで下がった。
それでも挑戦したメジャー。
野茂さんはこうも発言しています。
「僕がダメだったら、
次に続く日本人がいなくなってしまう。
どうしても失敗できないんです。」
そう、背水の陣でのぞんだメジャーへの挑戦。
そこで見事、本当に見事、花を咲かせました。
このトルネード投法で見せる
「背番号16」に
シビれた人は僕だけではなかったと思います。
本当にカッコいい男だと心から思いました。
ちなみにこのドジャースでつけた背番号16は
親交のあったとんねるずの石橋貴明が、
映画『メジャーリーグ2』で
日本人選手役として付けていた背番号で
あることから選んだとのこと。
いくら野茂さんでも生活とか将来の不安も
あって、けしてお金に不安はないことは
なかったと思います。
でも、男の夢のために、
そして自分に続く未来の日本人のために
男野茂英雄はメジャーに挑戦した。
このトルネード投法でひねったときに
見える背番号16を見て
男のカッコよさを感じさせてもらっていました。
今でもこの野茂英雄さんの背番号16を
見ると勇気をもらえます。
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
今日も頑張っていきましょう♪
ホワイトデーに女性受けしない投稿ですみませんm(__)m
火曜日だけど、金陽でした(^^
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ連続237日目)2023.3.14
(あくまでも宮城の勝手な考えです、あしからず♪)