大人になりたい、って思ってもらうのが大切
大人になったのはいつだったろう?
二十歳で世間からは大人のラベルを貼られたけれど。
私自身が、大人だって、胸を張れたのはいつだっただろう?
お酒が飲めるようになった時?
友人と、選挙に投票をしに行った時?
一人で回転寿司に行けた時?
仕事をしていた頃も、結婚をしても、子どもといても。
私は私を大人として見ているだろうか。
子どもは私を大人として見ているだろうか。
部屋はくしゃくしゃで。
時折寝坊して。
寝癖なんかもついちゃって。
それでも、大人として。
ちゃんと「なってみたい」と、思わせられてるだろうか。
不安は、いつでもちょっとだけ身近だ。
けれど。
「子どもがうまれたらね」と、我が子が言う。
つけたい名前がこれこれで、やってあげたいことがあるのだと。
「◯◯屋さんになったらね」と、我が子が言う。
友達と一緒に、やりたいことがあるのだと。
ならばと今日も、家の中へと笑いを振りまく。
ならばと今日も、心を鬼にし道理を説く。
ちょっとしたことだ。
本当に、ちょっとしたこと。
面倒くさいけれど、読んだ本を元に戻したりだとか。
ごろんごろんしていたいけれど、やりたいと言う事に連れて行ってあげるだとか。
変な持ち方をしていた箸を、小指がつりそうになりながら綺麗な持ち方に変えたりだとか。
本当の本当に、ちょびっとだけ。
大人のフリして背伸びする。
だけどとっても大事だ、と、私の中の大人が胸を張るものだから。
今日も見栄っぱりに大人の擬態をしていよう、と思うのだ。