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【漫画】僕の息のおと、聞いてよ。 #5
方向転換するおと。
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フッ軽になれる関係って大事なのかも
僕が耐えきれなくなって「性別 違う」ってキーワードから検索をし始めた(ちょうど「僕おと」第1話のゆづきくんみたいに)のって、自分が名簿とか制服とかを基に見做されて扱われる性別が、自分の実際に生きているものと全然違っていて、それがすごくしんどかったからってのがある。
足取りが重くなるし、起き上がれなくなるし、何も手につかなくなる。
そんな時。
トランスジェンダーってワードがあって、同じように悩んでいる人が世界に存在していることを知って、先人がすごく頑張って敷いてきた「ここに酸素があるよ!持ってっていいよ!」って感じの生きる知恵とか、生きやすくなるための法律や医療知識とかがあって、さらに「世界は完成形じゃなくて、創造していくことできるよ!粘土みたいに捏ねたり捻ったりして、自分のための形を作ることもできるよ」って考え方を知った。
めちゃめちゃ、ふっと、息が気管を通った。
今までこんなに鼻が詰まってたのか、と気づいた。
息が吸えるようになると、起き上がる気力が湧く。
立ち上がる力が出る。
外を歩いてみる気になる。
本を読んだり、展示を見に行ったりして、そこから自分の創作意欲に繋がった。それで、これからの世界とか、人の生き方とかを考えて、0を何度も捏ねては失敗して、また捏ねることができそうな現代アートに僕は舵を切ったわけで。
今まで「性別が違う感じがする」なんて人に言えるわけがない、と思っていたのが、「そっか、Miyabiはそう感じるんだね」ってそれを当たり前に受け止めてくれる人たちが周りにいてくれるようになって、「言いたいことがあるのに飲み込んで自分を殺して耐え忍んで、夜にベッドで何時間も反復して落ち込む」ってとんでもなくしんどい時間が0に近づいた。
ゆづきくんと同じく、クラシックを昔やっていた自分は、性別に悩んで、どうすればいいか分からなくて鬱状態になって、それをその時の担任の教授に「そんなどうでもいいことで悩んで音楽に向き合えないなんて、こいつはやる気がない」と問答無用に破門された。
この時は周りの全ての人や物事が、足取りを重く、自己嫌悪に向かわせる感じだった。
「どうでもいいこと」「些細なこと」と矮小化されると、「この人に話しても無駄」感出て絶望する。
かといって、「それは神様に与えられた才能だ!」ってやたらもちあげられたり、「悪魔だ!」と突き落とそうとする、そういう誇張も、「そうじゃねぇよ」でしかなくって。
結局、等身大の悩みをそのまま話せるのが、1番いいんじゃないかな。
それが誰か別の人でも、自分が持たない悩みでも「悩んでる」こと自体事実で真剣なんだから、テキトーにぽいってゴミ箱とか神棚とかに放り投げちゃったら、そこに生活も日常も無くなっちゃって、棒人間でいいじゃんってなっちゃう気がする。
ゆづきくんがじんトニックと会って、なんか吹っ切れたみたいに、なんだかフッ軽になれる人とか物事といると、
「あれ?これってこうすればいいんじゃない?」
「僕なら頑張ればできるはず!やろう!」
ってなるなと思った。
もちろん、「これが鬱の治し方!」ってわけではない。
そうじゃなくて、言いたいのは、「〈フッ軽になれる人や物事〉←との関係性」って、生き延びる上ではちゃめちゃに大事なのではないか!?ってこと。
この第5話を描いて、ここに思い至った。
みんな、助けてくれて、ありがとう。
第0章を終えて
ここまでの5話は、序章というか前日譚というか。第0章として描いてきた。
ゆづきくんが吹っ切れて「ゆづきくん」になった感覚。
じんは、キャラ紹介とかによくある「友達」「恋人」「家族」みたいな、ある意味キャラとして絶対的なもの、というより、それら名前の付いた確固たる(?)ものではない、微妙な、繊細な、揺れる立ち位置として描きたいんだな、と発見した。
ここから本編始めたい。
準備でき次第やろうと思います、しばしお待ちを〜〜〜〜〜〜〜