想いが乗っていない仕事。そりゃ自分が一番わかってる。
「なんでこれをやりたいの?」
そう聞かれたときに、今取り組んでいる仕事への「納得度」がわかる気がしました。
仕事をしていると、プロジェクトを進める上で
上司やさらにその上の立場の人に説明をする機会があります。
物事を滞りなく進めるために。
思い通りの予算を取るために。
引き継がれたものを頓挫させないように。
そんなことばかり考えながら作った資料は、
見てくれは凄く綺麗だし、まとまっているし
口にしたときの言葉も聞こえがいいのです。
それに、上司にとっても"外れていないから"
「うんうん」と否定しにくかったり、
昨年度からの踏襲であればあるほど、
「承認」しやすかったりするわけです。
なので、上司に持っていくときには、自然と
「想い」や「経緯」が全部しょっ引かれていて
なんだか『小綺麗になったモノ』になってしまっているなぁ、と心のどこかで思っていました。
正直、昨年の資料をそのまま使えば楽だし、
時間もかからないし、コストはかからないわけで。
皮肉なことに、それでも物事は前に進むんです。
しかしながら、転職をして半年経って。
やっと少しだけ環境にも慣れてきたこともあり、
自分が主となって進める仕事も増えてきたなかで、
「本当にこれで良いんだっけ?」
と問い直すことにしました。すべてにおいて。
・今やっている仕事
・これから取り組もうとしている仕事
・疑問を持たずにとりあえず進めていた仕事
などなど、改めて見つめ直してみると、
なんでこれってこうなってんだろう?と思うことだらけでして。
もちろん、色々な背景があって今の形があると思うので
それを否定するわけではなく、今の形に至った背景などを知った上で動かしていきたい、と思うようになったんです。
いざ調べてみたら、より良い形に変えられそうなものや、
そもそもの前提を覆した方が"面白くなりそう"なものが
意外と、手を少し伸ばせば届くところに溢れていて。
そこに気が付いてからは、
まさしく時間が溶けていくような感覚で
「こうなったら面白いかも知れない」
「ここは必ず伝えておきたい」
と、想いが止まらなくなってしまいまして。
もはや、
「なんでこれをやりたいの?」
と聞いてほしい!!!と思うようになりました。
(そう考えると、とりあえず慣れるために"こなす"状態にあった時はそう聞かれるのが怖かった気もします)
もちろん、新しく考える手間はかかるし
何かを変えるときにはエネルギーは要るのだけれど
「なんのために、この仕事をしているか」
に立ち返ったときには、
自分の想いが乗っている方が絶対的に楽しく仕事ができるんだろうなあ、と思います。
いまやっている仕事は、
『社員一人ひとりの成長を促す研修』をつくること。
そのはずなのに、
「企画を通すこと」「滞りなく進めること」を
目的に置いてしまったら、元も子もないよな、と。
届ける先の相手のことを考えたときに、
いま自分ができることは何か?を本気で考えることが本質的な「仕事」なんだと思うわけです。
「仕事」は、"事を仕る"こと。
別に本気で考えていなかったわけではないし、
とにかく目の前のことに必死だっただけなのだけれど、
今回のように、一歩引いて捉えてみると、
狭かった視界が、ぐっと開ける気がしました。
そして、人に何かを伝えるときには
もちろんロジックや定量成果も大事だけれども
「何かを変える」ときには、それ以上に
その事柄に対する情熱と信念、そして意志が必要で、
さらに言うと「上の承認を取る」ではなく、
「巻き込んでやる」くらいの気概がちょうど良いのだと改めて実感。
そんくらいの方が、"普通"のハコに入らない方が
聞く方も面白いんじゃないかと思うのです。
せっかく時間を貰って報告するのなら、
その時間はワクワクしてもらいたいな、と。
会社の規模とか、役職とか、業界とか、
そういう"こうあるべき"みたいなものは関係なく
「届ける先の相手のために」仕事をし続けたいなと改めて思うのでした。
目の前のことに見事なまでに忙殺されている
つい数ヶ月前の自分よ、これを読んでおくれ。
ワクワクは、モヤモヤの先にあるのだぞ。
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