倫理とはなんなのか
人を殺すのはいけないが
豚を殺して食ってもいい
肌の色で差別してはいけないが
ハゲはいじってもいい
障害者は馬鹿にしてはいけないが
人の間違いを馬鹿にする
こんなことを書くとお前はヴィーガンかと思われるかも知れないが僕の好物はラーメン二郎だ
僕が言いたいのは倫理やモラルといったものはすべて絶対的なものではなく相対的で不確実なものだ
いい例が熊の生態だ
オスの熊は子連れのメスグマ(子熊が授乳が必要)と出会った場合
オスは子熊を殺す
理由は至ってシンプルで授乳期間中メスは交尾することはできないが
子を殺された場合授乳が必要なくなり
交尾可能になり自分の子を殺したオスとこうびするのだ
これを聞いていい気持ちになった人がいるならそれは相当なサディストだ
人はこれを聞くとなんて非道なんだろうと考える
これが倫理感というものだろう
しかし人間も同じ様に
血の繋がっていない父と子では
一般的な父と子より虐待される確率が高い
よく報道で無垢な子供が虐待されているが多くは内縁の夫によるものだ
ここで断っておくがすべての血の繋がらない親子が虐待するなど見当違いで愛情をもって接している血のつながりがない親子もたくさんいる
つまるところなぜオスグマが血のつながりのない子熊を殺すのか
なぜ血のつながりがない親子には相対的に虐待発生率が多いのか
これは利己的な遺伝子やダーウィンの進化論、自然淘汰で説明がつく
血のつながりがない子にリソースを与えることは遺伝子を後世に残すことに当たって不利益にあたるのだ
では?っと思った人がいるだろう
なぜ先ほど私たちは熊が子を殺すことや血の繋がらない子を虐待する親に対して
強い憎悪や嫌悪感を抱いたんだろう
これは僕の推論であるが、人という動物が大きなコミュニティで生活し
社会性を得ることにより血のつながりのない子を平然と殺すものをはじめとする一般人に危害を加えうる者に対してコミュニティ全体で制裁を加えたりする考え方が醸成されたのだろう
こうして倫理観という物が生まれたのかもしれない
しかし利己的な遺伝子と社会性の高い人間が持つ倫理観
これはしばしば衝突する
これが現代に蔓延る虐待の要因であり
また虐待が問題であると認識する要因でもあるのだ