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鮎の贈りもの

 スマホに留守番の合図が入っていた。誰かなと思いながら名前をみる。「あっ、アキラくんか。ひょっとすると心待ちにしているアレかなァ。」ひと呼吸置いて番号を押してみる。
「もしもしアキラじゃけんど、今年もそろそろ鮎を送ろうかと思いよるがよ。」
「あらまあ、ありがとう。毎年毎年忘れんとよう送ってくれるね。だいぶ食いつきがえいかね?」とこちらも土佐弁で話す。

「まあ、四万十川や物部川は五月十五日から解禁になるきね。休みにはあちこち行きゆうがよ。」
「アキラくんはほんまに鮎釣り名人よねえ。去年秋におじさんは亡くなる前日迄アキラくんの鮎なら食べれたがやきね。最後のご馳走やったよ。」
「ほんなら近いうちに送るきねェ。3、4日旅行に出て家を留守にすることはないかね。クール便にするきねェ。」
「ないよ。おじさんはまだ納骨してないからね。私が出かけたら可哀想やきね。」

 アキラくんは私の小学校時代の親友の一人息子さんであり、両親は他界したが可愛い奥さんと南国高知で消防士の仕事の合間は釣りに励んでいる。
 
 三日ほどしてブルーの発泡スチロール製手付き箱のクール宅急便が届いた。持っていたアキラくんの釣果である。ずっしりと重たい。しっかり貼ってある透明の巾広のセロテープを少しずつはがしていく。全部はがれたところで正面に向けてそっと蓋をあけた。冷凍品なので上に3センチ程氷を入れたビニール袋をのせてあり、几帳面なアキラくんの心づかいが嬉しい。そっとはずすとある、ある。待っていた土佐の鮎が揃って寝ている。

 一匹ずつ鮎の大きさにあった透明ビニール袋に入っている。横が6センチ程、縦が26センチ程の細長い小袋である。早速お礼の電話を入れた。

 「あっ、着いたがやね。」「まあ、たくさん送ってくれてありがとうね。一匹ずつビニール袋にきれいに入れてくれて、手間仕事やったね。」というと「なんちゃあ。面倒じゃないきね。釣ってきたら帰ってすんぐに袋に入れて冷凍庫で凍らせてまとまったら送るがよ。」こともなげに言うが、この箱いっぱいに五十匹も入っている。

 休みの朝早く四万十川、物部川、仁淀川、奈半利川、鏡川、安田川など高知県内の清流に車を走らせて釣り糸を垂らしていただろう。お母さんの仲良しで今は埼玉にいるおばさんと、その亡くなったおじさんに今年も送ってあげようと頑張ってくれたその気持が嬉しい。

 すぐに冷凍庫に移すといっぱいになった。近隣の四国出身の方々にお福分けで差し上げると、皆さんとても喜んで、手で釣って送って来たというだけで感激して下さった。四万十川から泳いで来たのよ!と私も思わず冗談が出た。

 鮎は一年魚で川と海の生活をする。秋に川の下流で産卵し、命を終えるが、卵は2〜3週で孵化(ふか)し、海でプランクトンなどを食べながら成長し、春になったら川に入り遡上(そじょう)を始める。清流の意思についた藻類を食べるので、スイカのようなやさしい香りがして香魚ともいわれる。腹わたも頭も食べることができる。腹わたは塩漬けにして「うるか」とよばれる発酵食品になり、酒好きには何よりのよい肴になり発売もされている。

 わざわざ送ってくれた鮎、焼いてお供えにしよう。大きめのと小ぶりのと二匹、自然解凍する。濃いめの塩を降って15分ほどおく。その合間に庭の青もみじの枝を手折ってさっと洗い、すだちも半分に切る。好きだった備前の盃に日本酒も用意した。鮎を水で流しぬめりをとって紙タオルでふき今度は飾り塩をふってグリルで焼く。香りがたち焼き色がつけば出来上がり。縦長の皿に青もみじを敷き鮎を川背海腹(かわせうなはら)と昔、祖母から教わったように置いて供えた。「アキラくんの鮎よ。」と話したら写真の夫は微笑んだ。

 そういえば若い頃の思い出にも鮎がいた。京都の祇園祭に(占出山)と言う山鉾が出る、神攻皇后の人形が背丈より大きくゆったりとしなった釣竿を右手に持ち、戦勝を占って釣り上げた鮎を左手に持つ姿で立っている。この時から吉兆を占うのに鮎が使われるようになったといわれ、因んで鮎の形のお菓子も売っている。

 「国栖(くず)」という能楽にも鮎の占いがある。奈良の吉野の奥に追われた皇子に老漁師が吉野川で釣った鮎を焼いて献上したところ、喜んで食し、半身を老漁師に残してくれた。その鮎を吉野川に放したら生き返って都の方向へ泳いでいった。これは皇子の前途が吉兆のしるしであると祝福し、都に出た皇子は天皇になったという。(壬申の乱)を下書きにした物語である。狭い能舞台に多くの演者が並ぶめでたい演目である。

 関東に住むようになって鮎漁を見たのは栃木の那珂川のやなである。河川の一部に斜めの堰(せき)を作り遡上(そじょう)する鮎を手で掴むことができる。漁業体験に子供達は大喜びで食堂もあり、炭火で焼いた竹にさした鮎を美味しくいただいた。

 そして最後に神奈川の相模川流域に住んでいる息子から鮎菓子土産である。江戸時代からの人気店でやき鮎菓子には求肥(ぎゅうひ)が入って祇園祭のそれと形や味が似て懐しい。もう一種は白い最中鮎で淡いグリーンの柚子あんが透けて美しい。

 お酒が好きだった夫は同じように甘味も好物だった。お供えも喜んでいるだろう。

 アキラくんの贈りものからいろいろ思い出して楽しませてもらった。周囲を海に囲まれてどの県にも山や川があり、昔から季節にあわせて鮎を楽しんできた。その姿や香りから料理、絵画、詩歌、舞台芸術にまで好まれた日本人と相性がよい魚なのだろう。いつ迄も清流を鮎が元気に遡上し吉兆の兆しであるように願っている。

(市民文芸「さやま」 28号 2024/3 掲載)


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