みやびの記憶

1941年生まれの女性です。よろしくお願いいたします。

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遺作写真展「レンズを通して」のご案内

仁後文晃遺作写真展「レンズを通して」を開催します。 亡くなるまでの約20年の間に撮りためた中から、100点ほどを展示します。 雑木林の中をゆっくり歩いていると出会う風景や小鳥、昆虫、きのこなど。 毎日通って、日々の小さな変化をカメラに収めていました。 ギャラリーでの散策の後は、喫茶コーナーの美味しいコーヒーでおくつろぎください。 2024年10月10日(木)~  20日(日)、10:00~17:00 (10月14日(月)はお休みです) 最終日10月20日は16:00まで

    • 鮎の贈りもの

       スマホに留守番の合図が入っていた。誰かなと思いながら名前をみる。「あっ、アキラくんか。ひょっとすると心待ちにしているアレかなァ。」ひと呼吸置いて番号を押してみる。 「もしもしアキラじゃけんど、今年もそろそろ鮎を送ろうかと思いよるがよ。」 「あらまあ、ありがとう。毎年毎年忘れんとよう送ってくれるね。だいぶ食いつきがえいかね?」とこちらも土佐弁で話す。 「まあ、四万十川や物部川は五月十五日から解禁になるきね。休みにはあちこち行きゆうがよ。」 「アキラくんはほんまに鮎釣り名人よ

      • コロナ禍で学んだこと

         ハッピーバースデー、ツーユー!    パソコンの中に13名の笑顔と声が揃った。四月生まれの夫の八十歳、傘寿のオンライン祝会である。東京・神奈川・埼玉に住む子ども達がコロナ禍のため、県を越えての移動不可ということでの提案であった。  私達はバックに庭の緑が見えるようにと窓側のテーブルに薔薇と赤ワイン、手作りのカップケーキに蝋燭を一本たてて座った。三人の子ども達の画面にはジュースや紅茶やぬいぐるみを持って手をふる孫達の姿も見えて皆元気そうである。  一番年長の孫はこの春から

        • 折り鶴と黒い蝶

           「折り紙がお好きなのですね」グアム島へ向かう機中で優しい声がした。顔を上げるとキャビン・アテンダントの女性が微笑んでいた。「祖父がグアムで戦死したので家族揃って慰霊に千羽鶴を持っていくところです。あと少しで千羽になるので皆で頑張って追っているのです」と前席の次女が孫娘のみいちゃんと手を動かしながら答えた。「そうなのですね。通りで皆さん折っていらっしゃるのですね。折り紙のお好きなご家族なのだナと好もしく見ていました。もう少しで千羽になるようでしたらお手伝いしてもよろしいでしょ

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        遺作写真展「レンズを通して」のご案内

          「薫風荘」始末記 

           「もしもし、岡山からですが、この大雨でお宅にも水が入っているようですが…」今は空き家になっている夫の実家のご近所の方の声であった。平成最後の夏である。そういえば倉敷の真備町では小田川が氾濫して洪水で多くの家が被災し助けを求めている様子がテレビに写っていた。  岡山市は倉敷から二十キロ位離れているのにと思ったがお礼をいって大阪にいる弟に見てほしいと連絡した。その間にも真備町の様子が刻々とテレビに写る。独り住まいの高齢者はいかほど心細いかと他人事には思えない。  翌日、様子

          「薫風荘」始末記 

          終活ことはじめ

           「ねえ、おばあちゃん。おばあちゃんは何才ぐらい迄生きたいと思っているの。」「えっー、何才迄生きるかって?」突然の質問にびっくりして後が続かない。何度かのオンラインでの集まりに馴れてきた家族の新年会の時のことであった。   コロナ禍で県境越えは遠慮するようにとのことで子供達の家族総揃えで13人、それでも4台のパソコンで繋がっていた。  夫はどうしても5人の孫に一人ずつお年玉を渡して新年の抱負を聞く儀式を希望していた。暮れのうちにクリスマスギフトと一緒に送っておいた。いずれ

          終活ことはじめ