現代宮城風土記#48:宮城県内の主な震災伝承施設


震災伝承施設

 東日本大震災から得られた実情と教訓を伝承する施設。東北の太平洋岸に点在する。『災害の教訓が理解できる』等の基準を満たす施設が該当する(第1分類)。そのうち来訪者が訪問しやすいものは第2分類、さらにそのうち来訪者の理解しやすさに配慮している施設は第3分類に分類される。

3.11伝承ロード
 東北地方の太平洋沿岸に点在する東日本大震災の伝承施設のネットワーク化し、防災の取り組みを国内外に発信していく活動のこと。産学官民による一般社団法人『3.11伝承ロード推進機構』によって一体的な情報発信や啓発活動、伝承ツーリズムの企画などが行われている。

気仙沼市

気仙沼市復興祈念公園
 宮城県気仙沼市陣山にある公園。2021年3月11日に開園した。高台に、公園のシンボルとして制作されたモニュメント『祈りの帆ーセイルー』と、震災の犠牲者の名前を刻んだ銘板が設置されている。津波火災によって甚大な被害を受けた鹿折地区と内湾地区を望む。

リアス・アーク美術館「東日本大震災の記録と津波の災害史」
 「リアス・アーク美術館」の1階常設展示。震災による被害を記録・調査し、復興活動に有効活用できるよう取りまとめることを目的に、学芸員が被災現場で撮影した写真、収集した被災物、調査記録書等の資料から、写真203点、被災物155点、歴史資料等137点を展示。

気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館(気仙沼向洋高校旧校舎等)
 宮城県気仙沼市波路上瀬向にある震災伝承施設。震災で被災した『気仙沼向洋高校』の旧校舎を震災以降として保存し、新たに震災伝承館を併設させて開館した。校舎3階には津波によって流されてきた車をそのまま保存している。語り部によるガイドも行われている。

唐桑半島ビジターセンター
 宮城県気仙沼市唐桑町にあるビジターセンター。唐桑半島の自然や文化を紹介する施設として、1984年に開館。日本初の『津波体験館』を併設していたが、施設の老朽化もあり2022年に閉館。2024年に野外レジャーの拠点としての施設を追加してリニューアルオープンした。

命のらせん階段(旧阿部家住宅)
 宮城県気仙沼市内の脇にある震災伝承施設。「阿部長商店」の創業者の元自宅で、震災発生の4年前に後付けでらせん階段を設置していた。震災当日には地域住民20名がこの階段を通して屋上へ避難して助かったことから「命のらせん階段」と名付けて保存されている。

女川町

旧女川交番
 宮城県女川町にある震災遺構。2階建て鉄筋コンクリート造の建物で、津波の引き波によって横倒しになったものを2020年から震災遺構として公開されている。経年劣化を許容する『見守り保存』という形で保存されている。周辺の土地はかさ上げされているため、元の地盤の高さも体感できる。

南三陸町

南三陸311メモリアル
 宮城県南三陸町志津川にある東日本大震災の伝承施設。2022年に開館した。建物の設計は隈研吾。震災に関する住民の証言映像や南三陸町の様々なエピソードが展示されている。展示スペースには現代美術家・クリスチャン・ボルダンスキーや写真家・浅田政志の作品がある。

高野会館
 宮城県南三陸町志津川にある震災遺構。震災遺構でも数少ない民間が所有する施設で「南三陸ホテル観洋」が管理している。1986年に総合結婚式場として建設された建物で、震災当時はスタッフによる避難誘導により住民327人と犬2匹の助かった。管理会社による『語り部バス』を運行している。

海の見える命の森
 宮城県南三陸町志津川にある震災伝承施設。「南三陸ホテル観洋」が所有する森でのホテルスタッフやボランティアによるプロジェクトで、2016年から桜の植樹や散策路の整備などが行われている。またミャンマーの商社の代表から鎮魂のために『南三陸大仏』が寄贈された。

南三陸町震災復興祈念公園
 宮城県南三陸町志津川にある復興祈念公園。2020年に全面開園。公園の中心には犠牲者名簿を安置する石碑がある『祈りの丘』がある。また震災遺構「旧南三陸町防災対策庁舎」がある。隈研吾設計の人道橋『中橋』によって「道の駅さんさん南三陸」と接続している。
・旧南三陸町防災対策庁舎
 宮城県南三陸町志津川にある行政庁舎および震災遺構。旧・志津川町の行政庁舎として建造。高さ12mで屋上に避難場所だったが、東日本大震災で約15mの津波が襲来し、骨組みや床などを残して破壊された。2031年まで宮城県で保存し、その後の保存の是非は町で検討される予定。

石巻市

石巻市震災遺構大川小学校
 宮城県石巻市釜谷山根(旧・河北町)にある震災遺構。1873年に開校、2018年に閉校。2016年に保存が決定し、一般公開されている。北上川を遡上してきた津波により児童と教職員の大半が犠牲になったことで学校側の避難対応が適切だったか疑問視され、民事訴訟に発展した。

絆の駅 石巻ニューゼ
 宮城県石巻市中央にある展示施設。震災を伝える施設として「石巻日日新聞」が2012年に開設した。震災翌日の3月12日から17日まで避難所に貼り出された手書きの壁新聞などが展示されている。『ニューゼ』とは『ニュース』とフランス語の博物館『ミュゼ』を合わせた造語。

石巻市震災遺構門脇小学校
 宮城県石巻市門脇町にある震災遺構。1873年に開校、2015年に閉校。震災遺構として2022年に開館した。門脇地区は津波と津波火災によって壊滅した地区で、本校舎は火災の状況を残す唯一の震災遺構である。尚、児童と教職員は校舎北側の「日和山」に避難して無事だった。

MEET門脇
 宮城県石巻市門脇町にある震災伝承交流施設。2021年に開館した。子供向けの防災学習ができるコーナーやプロジェクションマッピングを使用した実際の避難行動を可視化した展示、シアタールームなどを備える。『MEET』は『March 11 Education & Exhibition Theater』の略称。

日和幼稚園被災園児慰霊碑
 宮城県石巻市門脇町にある慰霊碑。高台の幼稚園からバスで低地に向かい、津波と火災に巻き込まれて落命した5人の園児のために立てられたもので、碑面には犠牲になった5人の名前を用いた詩が刻まれている。また碑の前には魂が昇天するイメージのモニュメントがある。

石巻南浜津波復興祈念公園
 宮城県石巻市にある復興祈念公園。かつて南浜地区には住宅街などがあったが、東日本大震災の津波と津波火災によって壊滅し、追悼と復興祈念の公園として整備された。園内に「みやぎ東日本大震災津波伝承館」や「『がんばろう!石巻』看板」、慰霊碑などがある。

みやぎ東日本大震災津波伝承館
 宮城県石巻市南浜町にある「東日本大震災」の伝承施設。2021年に開館した。石巻南浜津波復興記念公園内に立地。『かけがえのない命を守るために、未来へと記憶を届ける場』をコンセプトとしたパネルや映像による東日本大震災伝承関連の展示されている。

がんばろう!石巻看板
 「石巻南浜津波復興祈念公園」にある看板。元は震災発生から1か月後に地元有志が瓦礫の材木などを再利用して製作されたもので、5年おきに地元の中学生と作り替えながら展示し、震災の教訓を伝えている。現在は3代目であるが、寸法は初代から変わっていない。

南浜つなぐ館
 宮城県石巻市南浜町にある震災伝承施設。2015年に開館。遺族から提供された被災物の展示やデジタル技術を駆使した被災状況や避難行動の映像展示、また「石巻南浜津波復興祈念公園」における市民の震災伝承活動の紹介等が行われている。月に1度、語り部プログラムも開催される。

髙橋邸倉庫(きぼう館)
 宮城県石巻市鹿又にある震災伝承施設。自営業の個人が運営している施設で、2014年から行政や関係機関の理解と協力の元、震災の被害の大きかった石巻市門脇町および南浜町から収集した漁具や食器、旧門脇保育所の看板などを展示している。訪問の際は事前に連絡を。

東松島市

東松島市東日本大震災復興祈念公園
 宮城県東松島市野蒜にある復興祈念公園。旧野蒜駅舎を改修し、復旧・復興に関する写真などを展示する『東松島復興伝承館』、震災遺構の「JR仙石線旧野蒜駅プラットフォーム」、波模様が施された震災復興モニュメント、祈念広場で構成される。
・JR仙石線旧野蒜駅プラットフォーム
 「東松島市東日本大震災復興祈念公園」にある震災遺構。野蒜駅は津波によって支柱が倒れたり、レールが湾曲したりするなどの被害を受けた。野蒜駅は当地より500mほど内陸に再建されたが、プラットフォームや線路の一部が震災遺構として保存されている。

松島町

石田沢防災センター
 宮城県松島町にある公共施設。災害時に帰宅困難になった人を受け入れる施設として、2017年に整備された。平常時は震災の記録や資料の展示スペースを併設した無料休憩所として開放されている。外観は「特別名勝・松島」の景観に配慮して瓦屋根や焼き杉板などを使用している。

利府町

東京2020 復興のモニュメント
 「グランディ21」にあるモニュメント。被災地と世界の間で相互に『感謝・応援』および『感謝・感動』を伝えることをコンセプトに、東京藝大の学生と被災地の中高生が共同でデザインし、制作された。大会終了後にアスリートなどのサインも書き加えられた。

塩竈市

塩竈市津波防災センター
 宮城県塩竈市港町にある公共施設。震災発生から1週間を1日ごとの記録した『7日間の記録』のコーナーや、塩釜市全体の津波浸水区域がわかる立体模型などが展示されている。また「塩釜市営汽船」が運休した際に浦戸諸島住民の一時待機所としても機能する。

七ヶ浜町

3・11東日本大震災伝承板-菖蒲田海岸防潮堤-

多賀城市

多賀城市津波波高標識
 宮城県多賀城市内に設置されている標識。多賀城高校の生徒が、東日本大震災における多賀城市内の津波の高さを津波の痕跡の測定や住民からの聞き取りによって調査し、電柱や壁面に実際の津波の高さに標識を設置している。2013年から現在までに150個の標識が設置されている。

仙台市

みやぎ生協 東日本大震災学習・資料室
 仙台市泉区八乙女の『みやぎ生協 文化会館ウィズ』にある震災伝承施設。主に宮城県内の震災による被害状況や、震災発生以降に『みやぎ生協』が取り組んだこと、全国からの支援や応援などを展示している。またシアタールームを備えている。

NHK仙台放送局 定禅寺メディアステーション2階

せんだい3.11メモリアル交流館
 仙台市地下鉄東西線荒井駅内の施設。東日本大震災を知り学ぶための場、津波により大きな被害を受けた仙台市東部沿岸地域への玄関口として設置された。東日本大震災の被害や復興の記録に関する展示や、まちづくりに関するワークショップなどを開催している。

仙台市立荒浜小学校
 かつて仙台市若林区にあった小学校および震災遺構。1873年に開校した。海から700メートルの場所に位置しており、東日本大震災では津波が2階まで到達。震災後は東宮城野小学校の一部を間借りする形で存続し、2016年に閉校した。2017年遺構は震災遺構として公開されている。

名取市

名取市震災復興伝承館
 宮城県名取市閖上東にある震災伝承施設。名取川の河口付近に立地する。震災以前の閖上の街のジオラマなどがあるコミュニティスペース、復興過程や防災教育の資料展示、シアタールームを備えている。また水害時の水圧を体感できる『水圧体感ドア』が設置されている。

名取市震災メモリアル公園
 宮城県名取市閖上にある公園。閖上漁港に隣接した場所にある。『祈りのゾーン』『憩いのゾーン』『海を望むゾーン』『日和山ゾーン』『遺構と伝承ゾーン』の5つで整備されており、津波の高さに作られた慰霊碑や芳名板、多くの人が避難した歩道橋の一部が設置されている。

津波復興祈念資料館 閖上の記憶
 宮城県名取市閖上にある施設。2012年に閖上中学遺族会が慰霊碑を建立し、その慰霊碑を守る社務所や集会所、震災伝承施設として開設された。旧閖上中学校で使用されていたロッカーや遺品、映像資料などが展示されている。また語り部プログラムを複数実施している。

岩沼市

千年希望の丘
 宮城県岩沼市の沿岸部にある公園および津波減災・避難設備。沿岸部の6地区に2000人が住んでいたが津波被害で集団移転し、その跡地に震災ガレキを活用して高さ11mの14基の丘とそれらを結ぶ高さ3mの園路が造成された。震災メモリアル公園、津波の減衰、避難場所など多重の機能を持つ。

岩沼市千年希望の丘交流センター
 宮城県岩沼市下野郷にある公共施設。『相野釜公園』に2016年に開館した。被災や復興状況の写真やパネルを展示するほか、語り部ガイドの見学などが行われている。「千年希望の丘」は相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜、蒲崎、新浜の集団移転跡地に整備された。

亘理町

亘理町立郷土資料館1階「東日本大震災特集コーナー」

山元町

山元町防災拠点・山下地域交流センター(1階 防災情報コーナー)

山元町震災遺構 中浜小学校
 宮城県山元町坂元にある震災遺構。1964年に開校、2013年に閉校。宮城県南部の被災建築物で、被災当時の状態を可能な限り保存し、2020年から公開されている。1階では津波の痕跡が残され、2階にはジオラマなどの展示物がある。校庭はメモリアル広場になっている。

中浜小学校震災モニュメント 3月11日の日時計
 「山元町震災遺構 中浜小学校」に設置されているモニュメント。震災当時に救助ヘリが着陸した地点に設置されている。文字盤に地震発生時刻を示す石や、過去の大地震や福島第一原子力発電所の方角、3月12日の朝日野方角などが表示されている。

おわりに

 写真は用意できてない。スマン。

更新履歴

2024年10月13日:記事を作成。

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