現代宮城風土記#31:陸奥国分寺・陸奥国分尼寺
陸奥国分寺
仙台市若林区木ノ下にある真言宗の寺院。聖武天皇による国分寺建立の詔で創建された仙台最古の寺院で、後に荒廃し、国分氏や伊達政宗が再興した。明治維新で再度衰微し、唯一残った別当坊が本坊として現在の陸奥国分寺となっている。
陸奥国分寺跡
仙台市若林区木ノ下にある遺跡。聖武天皇による国分寺建立の詔で創建された草創期伽藍の範囲が国指定の史跡になっている。多量の瓦、土師器や須恵器等の土器類,塔の相輪の一部等が出土している。
陸奥国分寺薬師堂
「陸奥国分寺」の薬師堂。政宗が陸奥国分寺の再興のために泉州の工匠を招聘して1607年に竣工。桁行・梁間5間の建物で屋根は入母屋造、本瓦葺。内部は内陣と外陣に分かれ、内陣奥の須弥壇に厨子を安置。大崎八幡宮と共に、仙台市内の代表的な桃山建築。国指定の重要文化財。
陸奥国分寺薬師堂仁王門
「陸奥国分寺」にある仁王門。素木造、三間一戸の八脚門で、屋根は入母屋造、茅葺き。建築年代は薬師堂造営と同じく1607年と考えられるが、屋根は修復で原型をやや失っている。室町時代末期の作と推定される金剛力士像が安置されている。宮城県指定の有形文化財。
陸奥国分寺鐘楼堂
「陸奥国分寺」にある鐘楼堂。室町時代後期に建築され、江戸時代初期に伊達政宗によって修理がされた。木造2階建て、桁行3間、梁間2間、袴腰付き鐘楼で、屋根は入母屋造、鉄板葺(元は瓦葺きでこけら葺きを経て現在の鉄板葺となった)。仙台市指定の有形文化財。
白山神社
仙台市若林区木ノ下にある神社。陸奥国分寺の境内(史跡・陸奥国分寺跡の範囲)にある。白山比咩神社を総本社とする。陸奥国分寺創建時に守護神として祀られた神社と伝えられるが史料に現れるのは江戸時代以降ある。本殿は1640年に伊達忠宗によって再建されたもので、宮城県指定の有形文化財。
準胝観音堂
「陸奥国分寺」の境内にある観音堂。5代藩主吉村の夫人・貞子が1719年に後の6代藩主・宗村が誕生した際に、1681年の准胝観音碑を安置する堂宇として建立した。現在の建物は1745年に6代藩主・宗村が再建した宝形造、朱塗りの堂。仙台三十三観音第二十五番札所。仙台市指定の有形文化財。
薬師堂の芭蕉句碑
「陸奥国分寺」の境内にある石碑。1782年に駿河の俳人・山南官鼠が来仙した際に建立したもの。表面には仙台を案内し離仙時には餞別をくれた仙台の俳人・北野加之への感謝の気持ちを詠んだ松尾芭蕉の句が、裏面には官鼠の句が刻まれている。仙台市指定の有形文化財。
大淀三千風供養碑
「陸奥国分寺」の境内にある石碑の1つ。大淀三千風は伊勢の俳人で、1669~1683年および1686~1687年の合計15年間仙台に滞在していた。この供養碑は三千風の弟子・万水堂朱角が供養のために建てたもので、朱角の句が刻まれている。仙台市指定の有形文化財。
史跡陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設
仙台市若林区にある史跡陸奥国分寺・尼寺跡のガイダンス施設。2017年に史跡の敷地内に完成した。国分寺・国分尼寺に関する歴史のパネルや出土品を展示している。当時の廻廊を伝統工法によって再現した休憩施設「天平廻廊」が併設されている。
陸奥国分尼寺
仙台市若林区白荻町にある曹洞宗の寺院。741年に聖武天皇の詔によって創建された寺院を源流とし、荒廃と再興を繰り返してきた。1570年に国分氏の支援の基で曹洞宗寺院として中興開山し、藩政時代には伊達家の庇護のもと繁栄した。現在の寺域の北側に「陸奥国分尼寺跡」がある。
陸奥国分尼寺跡
仙台市若林区白萩町にある遺跡。聖武天皇の詔によって創建された最北の国分尼寺で、発掘調査が行われているものの市街化が著しく詳細な寺域や伽藍配置などは明らかになっていない。現在の「国分尼寺」の北側にある金堂の推定地のみが遺構表示されている。国指定の史跡。
関連する地名
連坊小路
仙台城下町の地名および仙台市若林区の地名・道路名。「清水小路(現・愛宕上杉通)」から東に伸びる道路で、藩政時代は御足軽や御小人が住んでいた。商店街は「むにゃむにゃ通り」の愛称を用いている。現在は通りの南側に住所として残っており、商店や住宅、保寿寺などがある。
名称は陸奥国分寺が隆盛だったころ、門前から25の塔頭が小路に連なっていたことに由来するといわれる。遊女町へ通じる道であるため『恋慕小路』となった説もある。藩政時代は御足軽や御小人が住んでいた。
木ノ下
仙台城下町および仙台市若林区の地名。「椌木通」の北に位置している。名称は古今和歌集にある和歌に由来する。「陸奥国分寺」などが立地しており、古代における陸奥国の中心地の1つだった。現在も地名として残っており、東部に聖和学園高等学校、西部に住宅街がある。
関連する氏族・国分氏
南北朝時代から戦国時代まで陸奥国の一部を支配した武士の一族。出自に関しては諸説ある。「陸奥国分寺」付近を拠点に、現在の仙台市中心部や旧宮城町域、泉区の一部にあたる地域を支配し、後に伊達家の家臣となった。江戸時代は佐竹氏(秋田藩)の下で「秋田伊達家」として存続した。
おわりに
仙台市内でもっと注目されてほしい文化財・史跡の1つ。
更新履歴
2024年10月1日:記事を作成。