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現代宮城風土記#43:仙台城
仙台城
仙台藩主・伊達家の居城。雅称は「青葉城」。山上の「本丸」と、麓の「二の丸」と「三の丸」で構成される。一度も戦火を見ることなく廃城となり、明治期には陸軍用地となったため多くの建築物が解体され、残りも戦災でほぼ全て焼失した。一部の建造物は復元が計画されている。
五城楼
仙台城の別名。「仙台(仙臺)」という名称と同じく、唐時代の中国の詩人・韓翃の七言律詩『同題仙遊観』の冒頭にある『仙臺初見五城楼』に由来する。雅称の「青葉城」と比較すると知名度は低いが、大相撲力士の四股名や仙台一高の凱歌二番の歌詞などに「五城楼」が利用されている。
仙台城跡
仙台市青葉区川内にある国指定の史跡。本丸跡のうち「宮城県護国神社」を除く範囲、御裏林、二の丸の一部、三の丸が史跡の範囲に含まれる。発掘調査では切石積みの石垣の下から野面積みの石垣が、本丸から大広間の礎石跡等が発見された。また金箔瓦や欧州製のガラス器等が出土している。
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出土品
「仙台城跡」からは多数の遺物が出土している。例えば「本丸大広間跡」からは建物の金銅金具が、城郭各部の石垣からは金箔瓦を含む大量の瓦が出土している。また肥前を中心とした国内各地の陶磁器や、中国産の染付や朝鮮王朝の白磁、また欧州産のガラス器の破片も見つかっている。
仙台城跡整備基本計画/史跡仙台城跡整備基本計画
「仙台城跡」の長期整備計画。仙台城跡の一部が国の史跡に指定されたことを受けて2005年に策定された調査・整備計画。その後の法改正や情勢の変化を織り込み、より城郭らしい景観と来訪者が学べる環境の整備を目指す新計画を2021年に策定した。
政宗ビュー
「史跡仙台城跡整備基本計画」において実現を目指している景観。繁茂した草木を適度に伐採し、かつて伊達政宗や代々の藩主が城下を見下ろした仙台城本丸跡からの眺め、また市街地から見た仙台城、本来の地形や石垣などが、城郭史跡としてふさわしいものにすることを目指している。
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曲輪と現在の用途
別の記事を参照!
登城路
仙台城の登場路は大手門から本丸に向かうルートと、三の丸巽門から大手門ルートの途中に合流するルートがあった。
大手門からの登城路
仙台城大手門
「仙台城」にあった大手門。仙台城の正門だった高さ12.5mの2階建て瓦葺の城門で、旧国宝に指定されていたが北側にある土塀を除き戦災で焼失した。現在は車道があるが、隣接する「脇櫓」と共に2036年までの再整備・復元が計画されている。「昌伝庵」に復元模型がある。
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仙台城脇櫓
「仙台城」にあった櫓の1つ。『隅櫓』とも表記される。「大手門」の向かって左側にあった一部2階建ての建物で、旧国宝に指定されていたが戦災で焼失した。1967年に民間の寄付によって再建されたが、後に形状が異なることが分かったため、大手門と共に再整備されることになっている。
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仙台城大手門跡北側土塀
「仙台城」の建造物の1つ。仙台城で藩政時代から残る唯一の建造物で、戦災も免れた。土塀の躯体は粘土と瓦が交互に積まれた版築構造となっており、外側に白漆喰を塗って仕上げられている。東日本大震災等の大きな地震でよく漆喰に亀裂が入り、その度に修復されている。
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仙台城中門跡
「仙台城」の城門跡の1つ。「大手門」から「本丸」への登城する途中に位置していた二階門で『寅門』とも呼ばれた。門の前後で道が鉤型に屈曲し、周辺は『中曲輪』とも呼ばれた。1920年に老朽化のために解体されたが門を挟んだ両側に石垣は現存する。石垣修理の際に金箔瓦が出土した。
三の丸巽門からの登城路
仙台城清水門跡
「仙台城」の城門跡の1つ。「巽門」および「三の丸」からの登城ルート途中に位置していた門で、1645年の絵図では二重門、入母屋造になっているが詳細は不明である。名称は御用酒造りに利用された湧水が門の近くにあったことに由来する。門跡の付近に野面積みの石垣が現存する。
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・仙台藩御用酒発祥の地
仙台藩の御用酒は、1608年に大和柳生藩主・柳生宗矩の仲介により大和国の榧森又五郎を招聘し、仙台城・清水門南側に酒蔵『御城御用御酒屋』を建てたことに始まる。榧森家は12代にわたって夏氷酒や葡萄酒など20種類以上の酒を醸造した。付近の湧水が酒造に使用された。
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仙台城沢門跡
「仙台城」の城門跡の1つ。「巽門」および「三の丸」からの登城ルートと、大手門からの登城ルートとの合流点に位置していた門で、「清水門」と沢門の間は『沢曲輪』とも呼ばれた。絵図では平屋建て、切妻造、瓦葺のものとして描かれている。曲輪の石垣が周辺に現存している。
仙台城の移築遺構
仙台各地には、史料は乏しいものの、仙台城の建造物を移築したものと伝わるものがいくつか存在する。
寅の門:宮城県知事公館正門
「宮城県知事公館」の正門。元は幕末に作られた仙台城の城門の1つ(寅の門といわれるが詳細は不明)だったものとされ、大正時代に移築された。切妻造で本瓦葺の四脚門で、扉は移築時、鯱は1971年の修復時に新しく取り付けられたもの。宮城県指定の有形文化財。
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辰ノ口門:満興寺山門
「満興寺」の山門。三間一戸の薬医門で、屋根は本瓦葺、切妻造。元は「仙台城」の辰ノ口門だったものが5代藩主・吉村によって「永安寺」に移築され、明治期に再移築されたと伝わる。部材が痛んでいたことから元の門は解体され、現在のものは同じ形式で再建されたもの。
・満興寺
仙台市泉区根白石にある曹洞宗の寺院。1382年に開山。「伊達晴宗」「久保姫(栽松院)」「伊達政宗」の位牌を祀る。『満興寺の七不思議』といわれる伝説が残る。地域やチャリティーイベントの会場にもなる。本堂は明治期に農家の屋敷を、山門は仙台城の辰ノ口門を移築したものと伝わる。
門:孝勝寺山門
「孝勝寺」の山門。三間一戸、切妻造、本瓦葺の山門で、棟の両端には鯱が載せられている。嘉永年間に「仙台城」から移築されたものとされ、1960年の火災の際にも唯一焼失を免れた。自治体の文化財には指定されていないが、現存する仙台城に関連した数少ない建築物の1つ。
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二の丸勘定所の板倉:個人宅の倉庫
仙台市宮城野区岩切にある建築物。2階建ての親倉と平屋建ての子倉が接する形式のもので、いずれも木造、床敷、屋根は切妻、本瓦葺。元は仙台城二の丸勘定所の金倉だったとされ、明治維新後に岩切の大宮家、次いで日野氏が現在地に再移築した。個人宅にある。宮城県指定の有形文化財。
おわりに
レッツ遺構巡り。
更新履歴
2024年10月9日:記事を作成。