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友へ

普段は新聞の勧誘と宅配ピザのクーポンのチラシしか届かない我が家の郵便ポストに、立派な封筒が届いていた。
結婚式の招待状だ。
お相手の方と並んで書かれた友人の名前はなぜか知らない人のもののようにも見えた。
招待状はもらったら素早く返信するのがマナーらしいので、必要事項を記入し、気持ちばかりメッセージも書いて、明日ポストに投函できるよう手帳に挟む。

当日には友人代表のスピーチなるものも依頼されている。
恥ずかしいよ、と言ったのだが、お願いするなら絶対あなたと決めていたのだと言われては断れない。
と言いつつ、お願いされなかったらされなかったで寂しいと思う私は面倒な友人だ。
内容はまだ一文字も考えていないのだけど、そろそろ本腰を入れて考えた方がいいだろう。
また後でと思うといつまで経ってもその「また後」が来ないから思い立ったときにやろうと、思い出を辿るべくアルバムを引っ張り出し、スマホのメモ機能を呼び出した。

彼女は私にとって、私は彼女にとって、最も旧い友人だ。
大人になるにつれて希薄になってしまった地元の友人たちとの関係とは違って、今もメッセージを送ってはダラダラと連絡を取り合う。
地元に帰るときにはお互い連絡しあって必ず会うし、会えば数時間はおしゃべりが止まらない。
そんな気さくな仲であるがゆえに、スピーチといっても堅苦しいものは難しくて、それでも失礼のないよう、話してはいけないこと、そして話さなくてはいけないことを調べる。
書き出しは、先達の教えを守って例文から。
そこまで書き終えて、私の手はぴたりと止まってしまった。

彼女と仲良くなったのは小学2年生の時だった。
同じクラスになったことをきっかけに意気投合。
しょっちゅうお互いの家に遊びに行き、おもちゃのカラオケで熱唱した。
当時の私の持ち歌は、彼女にとってはもう私の歌らしく、どこかで流れているのを聴くたび今でも私を思い出してしまうと笑っていた。
同じ塾にも通った。
毎回隣の席に座ってはお喋りが止まらなくなって先生に叱られた。
同じスイミングスクールにも通っていたときは、同じ種目で選手を争ったこともある。
練習はキツかったけれど、終わるやいなや、二人で駆けて行って買う自販機のアイスが格別だった。
中学生になってからは同じ部活に入り、それまでと比にならないほどの濃密な時間を共に過ごしてきた。
毎日、外で部活に励む。
焼けやすいあなたは、真夏には真っ黒になってちょっと落ち込んでいたっけ。
キャプテンに指名されて、そのプレッシャーに押し潰されそうなときは、みんなの前ではシャキッとして、私の前ではぐずぐずと弱音を吐いて泣いていた。
制服を着始めた頃からは、周囲の恋愛模様も本格的に騒がしくなってきて、恋多き女のあなたも例外なく楽しそうにしていた。
今日は彼と目が合った、に始まり、二人で喋ったんだけど期待してもいいと思う?とか、あの人とも二人で喋ってるの見ちゃった、とか。
私は、いろいろと相談に乗ったり、アドバイスしたり、二人になれるように取り計らったり、結構なんでも協力したのだけど、唯一、彼女に初めての彼氏ができて、「付き合うことになったんだけどね、なに話していいか分からないから三人で一緒に帰ろ。」と言われたときだけは丁重にお断りした。
高校と大学は離れてしまったけれど、日常のこと、恋愛のこと、その他全てのことの彼女の話し相手は私だったし、私も彼女にしか言えないことがたくさんあった。


30分粘っても、結局一文字も進まないまま、ただアムバムをめくる。
懐かしい写真ばかり。
ひとつひとつ思い出が蘇って、懐かしさを噛み締めていると、一枚の写真が目に入って手が止まった。

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いつ、誰が撮ってくれたのかも分からない写真。
彼女と私、おそらく教室の窓際で何かを話している。
その写真にはかつての私たちの日常そのものが残されていた。


長く一緒にいた。
飽きるほどの時間を飽きもせず共に過ごした。
自分たちですら、仲良くなったことに首を傾げるほど正反対な私たちは、喜びも、興味も、悩みも、好きな人も、怒りも、涙も、どんな秘密も、私たちを形作るそのほとんどを共有してきた。
私は彼女の好きだった人を8歳の頃から今まで順に並べて言えるし、彼女もそうだ。
彼女は私が好きなものも嫌いなものも何でも知っているし、私もそうだ。
だからこそ、彼女を疎ましく思ったこともある。
喧嘩をしたことも片手の指では足りないほど。
それでも私たちは、昔も今もお互いのことを一番大切な友人と胸を張って言える。
そう思えるのは全て彼女のおかげだ。
私の友人は本当にとびきり優しい人だから。
そんな彼女が二月後には花嫁になる。
実感が湧かなくて、遠い未来の話のような気がした。

最近の私たちの一番の関心事は、結婚のことだったように思う。
そういう話に敏感にならざるを得ない年齢になって、私たちは誰かのそういう話に喜びと畏れと嫉妬を抱えてきた。
私はお祝儀貧乏にも、何よりそういう自身の醜い気持ちにほとほと辟易して、もういっそ、誰の慶事も知らないままでいたいと思うほどに疲れて果てていたけれど、そんな私でも彼女のことだけは心の底から喜んだ。
幸せそうにはにかむ彼女を見て本当に、純粋に嬉しかった。
この類の話で他の何も考えず、ただ喜びだけがあったのは久しぶりだったかもしれない。
だからどうか、幸せに暮らしてほしい。
御伽噺の締めくくりの言葉のように、末長く、いつまでも。

写真を眺めていたら、やっと手が動き始めた。
私のスピーチを聞いたら彼女は泣くだろう。
感動しいだから。
でも、私も泣いてしまうかもしれない。
いろんなことが蘇ってきて。


結婚式の当日はよく晴れた日だった。
スピーチが終わるまでは泣かないように頑張ろうという私の決意は、チャペルに入場してくる彼女と彼女の父親の顔を見た瞬間に崩れ去った。
彼女が涙を堪えながら母親にベールダウンしてもいるのを見たときにはもうポロポロと涙が溢れ始めていて、最後に「幸せにね。」「ありがとう。」と小さく口が動いているのを見て、とうとう私の涙腺は崩壊した。
とどめはバージンロードの真ん中で、彼女の手が父親から新郎に手渡されたとき。
手に持ったハンカチは完全に湿っていた。

披露宴の前に、涙でだいぶ落ちてしまった化粧を直して、気合いを入れ直す。
泣いて話せなくならないように。
このスピーチは、彼女が、彼女の大切な日に、私にくれた、普段言えないことを伝える貴重な機会だから。



私の大切な友人へ

まずは、新郎新婦のお二人、ご家族ご親族のみなさま、本日は誠におめでとうございます。
僭越ではございますが、ご指名により、友人を代表しまして、お祝いを述べさせていただきたいと思います。

私たちは、長い時間を共に過ごしてきました。
ときに泣き、ときに悩み、ときに恋して、よく笑い、今思えばくだらないことばかり、それでもあの頃の私たちにとってはそれがとてつもなく大事だった青春の日々。
振り返るとかけがえのない思い出ばかりです。
私の、この歳になってお恥ずかしながら、親友とも呼ぶ、最も大切な友人が、今日の良き日を迎えたことを、心からお喜び申し上げます。
こんな日が来るのは遠い未来の話だと思っていたけれど、私たちはもうそんな歳になったのねと、とても感慨深いです。
素敵なお相手と新しく家族になった友人が、とても幸せそうなのを見て、私まで幸せな気持ちになりました。

新郎さん、私の友人はとびきり優しい人です。
実は、私と友人は長く一緒に居すぎたがゆえに、少し距離を置いていた時期もあります。
けれども、今、私たちはかつてと変わらず、お互いが一番の理解者で友人と胸を張って言えます。
そう言えるのはすべて、彼女が優しくて、あのときの私を、許して、受け入れてくれるからです。
今でも私を一番と言い、そして、私の一番でいてくれることに、本当に感謝しています。

友人はどうでもいいことですぐ悩み始めますし、構ってちゃんなので取り扱いに困ることもあるかもしれません。
泣かせないで、とは言いません。
泣き虫なのですぐ泣きますし。
ただ、笑わせてやってください。
二人、幸せでいてください。

お嫁に行ってしまって寂しいけれど、困ったことがあれば変わらず連絡ちょうだいね。
話を聞くくらいはさせてね。

これから先のあなたの人生が、誰よりも幸多いものであることを祈ります。
どうかお二人、末長くお幸せに。
本日は、誠におめでとうございます。




このお話は、以前書いた詩を物語にしたものです。

そして、この詩は素敵な企画に参加させていただいたときに生まれたものなのです。

始まりはこちらの詩です。

実は、私は一番大事とも言える友人の結婚式には参列できませんでした。
このご時世で、私の職場では県境を跨ぐ移動が許されてはおらず、そして、友人も悩んだ末に、私を含む全ての他県の友人は諦めると言ったからです。
彼女がわざわざ私に電話をかけて、ごめんと伝えてくれた声が、少し震えていたのが忘れられません。
とびきりの笑顔でお祝いをするはずだったのになあ。
いや、私は彼女のご両親、ご親族とも知り合いだから、お顔を拝見しただけできっと泣いてしまうわ。
そんな、現実にならなかった幸せの景色を想像しながら書きました。

私の友人へ

これから先のあなたの人生が、誰よりも幸多いものであることを祈ります。
どうかお二人、末長くいつまでもお幸せに。


2021.11.02追記
こちらにもオブザーバー参加させていただきます!