「損」ばかりに目が行ってると、人生行き詰る
同じ出来事でも、その中には必ず「得」と「損」どちらも存在する。
たとえば、
3000円の美味しいランチを友人と食べに行ったとしましょう。
その中には「3000円支払った=損した」と、
「美味しいランチを食べ、友人と素敵な時間を過ごした=得した」という、「損」と「得」が両方存在しています。
そしてこの「損」に目が行きやすいか「得」に目が行きやすいかというのは、その人の物事の捉え方のクセです。
「損をした」と捉えやすい人は、日ごろから「自分が損していることはないか?」ということばかりに目が行っていますし、
「得をした」と捉える人は、日ごろから「自分はどんな得をしてるか?」ということばかりに目が行っています。
「損」に目が行っているとき、例えばこんな捉え方になります。
★友達と楽しくお喋り。でもなかなか自分の話す番が回ってこない…。「話を聞かされてばかりで損してる」と思う。
★20万円で性能の良いパソコンを買った。性能はいいんだけど、「あーあ、20万円も使って損をした」と思う。
「損」に目が行ってると、
【自分ばかりが不当に扱われている】
【みんなが自分から奪っていく】
という卑屈な気持ちになっていきます。
それが募っていくと、今度は「奪い返さないとワリに合わない」と思うように。
すると例えば、
3000円のランチに対して、「こっちは3000円も損してるんだから、もっと美味しいものを寄こせ。もっと量を寄こせ。もっと良い接客をしろ。もっと良いサービスを提供しろ」などと横柄な態度になる可能性があります。
いえ3000円でなく500円の定食だったとしても、色んなケチをつけたくなってくるかもしれません。
「こっちは500円も損してるんだから、提供をもっと早くしろ。もっと愛想良くしろ。もっと!もっと!もっと!」
…そういう器の小さい人いますよね。
僕はリラクゼーションのお仕事をしているので、日々様々お客様と出会います。
中には「こんなに払ってるんだからもっとサービスしろ!」と言ってくる方ももちろんいます。
失礼な話ですが、そういう人たちはだいたい低賃金にあえぎ、会社や身の回りの人の文句を言い、世の中の不平不満を嘆くだけで、自分からは何も行動を起こさない寂しい人です。
ちなみに、そういう人の「損してるんだから寄こせ」に付き合うと、相手はどんどんエスカレートしていきますので、関わる場合は注意した方がいいです。
もし今、なんだか人生が苦しい人は、自分が「損」に目が行ってないか見つめなおしてみてください。
そしてもし「損」に目が向いてたら、どうか「損」ではなく「得」に目を向けてみてください。
★「ランチに3000円も支払って損した」ではなく、「友人と美味しいご飯を食べて得した」とか、
★「友達の話を聞くばかりで、自分の話ができなくて損した」ではなく、「相手の話を色々聞けて得した」とか、
★「20万円もパソコンに支払った」ではなく、「性能の良いパソコンを手に入れることができて得した」のように。
そうやって「得した」に目を向けてると、不思議なもので自然と色んなことに感謝できるようになってきます。
「美味しいご飯を作ってくれてありがたいな~」
「自分に色んな話をしてくれて嬉しいな~」
「パソコンをこんな気軽に手に入れさせてくれる世の中に感謝!」
そうやって「ありがとう」という気持ちが満たされてくると、今度は自然と「自分も誰かに与えよう!」という気持ちになってくるものです。
「美味しいご飯だったな。ありがたいな。そうだ、知り合いにこのお店を紹介しよう!」
「色んな話を聞かせてくれるあの人。そうだ!今度何かお土産でも買って行こう!」
「素敵なパソコンを買えてよかったな。そうだ!口コミを書いて、このパソコンの宣伝に協力しようかな~」
そうやって「得したな」が「ありがたい」という感謝の気持ちに変わり、「感謝」が「他の人にも与えよう」に変わった時、その人の器は大きいものになっています。
大きい器の人って、温かい心で人を包んでくれて、とっても信用できる。そんなイメージありませんか?
そういう人のまわりにはたくさん人が集まってきますし、「素敵な人だから」と色んな人が手を差し伸べてくれて、とってもラクに、そして楽しく人生を送れるようになるのです。
物事を「損」とみるか「得」とみるか。捉え方ひとつで「心の器」はその大きさを変えます。
ぜひ「損」よりも「得」に目を向けてみてくださいね♪