コーヒー×SNS×経営学=?
私はコーヒーが大好きだ。
私にとって飲み物といったらコーヒーであり、「No Coffee No Life」な性なのである。
以前はよく授業の空きコマや、作業スペースとして大学周辺のカフェやStarbucksに足繁く通ったが、一方で勉強は自室でしたいタイプなので、学年が上がって最近は外に出歩かずにコーヒー豆を買って自分で淹れて楽しんでいる。
さてそんな私であるが、地元に帰れば必ず行くカフェがある。確か大学1年生の冬に初めて訪れたはずなので、もうかれこれ2年ほど通っている。そのおかげか最近はどれだけ期間が開いても、行けば店主が顔を覚えてくれていて、前回の帰省からのラグを感じさせない。非常にアットホームなお店だ。
しかしただアットホームなだけではなく、コーヒーの味は一級品だ。このお店に通うまでは、正直コーヒーなんて苦くて濃ければそれでよかった。そういうコーヒーこそ、“THE コーヒー”って感じ。
しかし、このお店で出すコーヒーはいわゆる“スペシャルティコーヒー”。コーヒーの苦味をあまり感じさせず、程よい酸味や果実味、フローラルさといった、紅茶を思わせるコーヒーだ。私はこんなコーヒーをこのお店で初めて飲んだ時、「なんだこれは!!」と私の中のコーヒーフレームワークのパラダイムシフトが起こり、それ以来スペシャルティコーヒーの世界にどっぷりハマってしまった。
そして、コーヒーのことをもっと勉強したいと思いお店に通い、豆の種類や抽出方法、焙煎、水の温度までこれまで色々なことを毎回教えてもらっており、自分もコーヒーの世界観を多くの人に知って欲しいと、東京に戻れば時たま友人などにコーヒーを振る舞っている。
さて、昨日のことだ。私はいつものようにカウンターに座って、店主の淹れる美味しいコーヒーを飲みながらたわいもない話をしていた。
そのとき店主は“日々の日課”をこなしていた。それはSNSへの「営業中」を知らせる投稿である。
このお店ではInstagramをやっており、営業日、休業日関係なく休まず毎日投稿している。
「毎日やっていると載せる写真だったり文章だったり枯渇しませんか?」
「文章は毎回手入力なんですね!」
いろいろと余計なことを言っていると、話題がSNSになった。
「ストーリーズに毎回コメントしてきてくる人がいるが、返事が面倒」
「フォロワーとかフォロー返しとか意味がわからない」
最初はそんなお父さん世代にはよくありそうな店主のボヤキからだった。しかし、話はここで終わらなかった。
ー
以前、地元の結構有名なインスタグラマーがお店に来てね。結構ウチのことを気に入ってくれてたみたいなんだけど、自分がインスタのことを今みたいに批判したらそれ以降来なくなってしまった。それで隣町のカフェに今度は出入りするようになったらしくて。インフルエンサーだからそれはもうお店は大繁盛らしいけど、その子がカフェを牛耳ってしまってて、もう誰が経営者かわかんない状態らしい。たしかに儲けたいし、多くの人にお店に来て欲しいけど、ああまでしてそうなりたいとは思わないね。
ー
ー
都会のチェーンとかだったら、商品を提供するまでが店員の仕事。だから商品を買った客がそれをどう処理しようとどうでもいいはず。だけど、自分はコーヒーが好きだしその世界観をより多くの人に知って欲しいから、商品を提供しておいしいと言って飲んで帰ってもらうまでが仕事なんだよ。海外の生産者さんが懇切丁寧に育てて、バイヤーがプロの目で買い付けて焙煎所がその豆にあった焙煎をして、自分の手元にやってくる。自分は消費者に渡るまでの長い長いリレーのアンカーとして責任をもってコーヒーを一杯一杯おいしく淹れる責任があると思う。だから、売上を増やしたいからと言って、いい加減なことをすることはできないんだよね。
ー
私は上京して、表参道などでお気に入りのカフェを見つけバイト前などにいつも利用していたが、結局店員さんと話す機会など一度もなかった。一度だけ10円おまけしてくれたことはあるが。一応断っておくがスタバなどのチェーン店ではない。東京のカフェで店員さんと話せるような店に出会ったことはただの一度しかない。というか大抵は毎回対応する店員が違うから毎回初入店の面持ちである。
しかし、地元に帰ればコミュ障な私に対しても、一度か二度そのカフェに行っただけでも話しかけてくれる。店主は常駐だし、サラリーマンをリタイアしてカフェを始めた方などバックグラウンドも多種多様で、話の引き出しは数多く、非常に魅力的な人が多い。
この違いはなんなのだろうか、と結構前から思っていた。単純に回転率の問題なのかなと思って特に考えてもなかったが。
しかし私はこの話を聞いて、都会のカフェと田舎のカフェとが持つ「精神の違い」と呼べるようなものになんとなく気がつかされた。都会は「いかに効率よくおいしいものを提供するか」をモットーに、田舎は「いかにお客さんとのつながりを大事にして、次もまた来てもらえるか」をモットーに経営しているような気がしたのだ。
ー
都会であれば新規の人がたくさん来るから、3割の人をがっかりさせても、7割が満足して帰ってまた来てもらえる可能性があれば十分なんだよね。でも我々は絶対数が少ないから、絶対に満足させて帰ってもらうという緊張感がある。
ー
これは単純に経営における方向性の違いであって、どちらがいい悪いの議論ではない。もちろん田舎のカフェだって儲けなければ食っていけないわけで、RiceworkとLifeworkの両立が必要であるということは重々承知のはずであろう。
しかし、私個人としてはやはり田舎のカフェの方が好きだ。あのゆっくり流れる時間が好きだし、退店を急かすような事柄もない。おまけにコーヒーはうまい。ただただ最高である。
現代において、SNSの力は偉大である。何かを経営している人であれば、なんらかの形で使おうと一度は思うものだろう。これくらいはいわば常識である。
しかしそれにばかり気を取られ、目の前の大事なお客さんへのサービスがなおざりになっては意味がないだろう。そんな調子では、何かのきっかけでもう行こうとは思えなくなってしまう。
飲食×SNS×経営。この解として出てくるものは、必ずしも最大利益を上げ続けることではないのかもしれない。