風景となる人
最近、人づてに知ったイタリアンのテイクアウト専門店をよく利用している。お店は大きな通りから随分と奥に入った畑の真ん中にポツンとある。『なんでこんな所に?』と思ったけれど、東京で20年程シェフとして勤めてきた方が数年前に実家に戻り、そこで実家の畑を継ぎながらお店を開いているらしい。人気メニューは思わず『安っ!』と声を上げてしまう品数豊富で見た目もカラフルな500円の日替わり洋風弁当。物価高のなか、ワンコインで手軽に自宅でも外食気分を味わえるのが嬉しい。コンビニの味でも家庭の味でもない、プロの味はやっぱり特別で美味しい。
お店のインスタには毎日、その日の販売メニューが掲載されるのだけれど、ちょっとした日常の出来事なども載っていて、それを見るのも楽しみ。先日のインスタには『今年から近所の小学校でのマラソン大会で外周がなくなるみたい。いつも家の前で見るのを楽しみにしていたのに残念。』と書かれていた。
そういえば、私も小学校、中学校のマラソン大会では外周があって、道端には所々に見ている人が居たな…と思い出した。お年寄りが多かったけれど、働き盛りの男性の姿を見かけることもあった。子供心に『なんで平日の昼間にこんな所にいるのだろう?』と不思議に思っていたけれど、この方のような人が見てくれていたんだなぁ…と思った。マラソン大会で学校の外を走っているなかで目に入る道端に立つ見知らぬ人は、風景の一部として溶け込んでいる。そして、その風景にどこか励まされていた。思い返すと、こうして風景となる人達に、知らず知らずのうちに支えられて大きくなったんだな…と今頃になって人からの眼差しの有り難さに気付かされた。ただ単に子供の走る姿を見るのを楽しみにしている人が居る。そして、そのような人の姿や拍手、声援はやっぱり温かい。当時は意識することも無かったけれど、直接言葉を交わす以外にもこんな温かなコミュニケーションがいくつもあった。
先週末も夕飯用にお弁当の予約の電話をして夕方に取りに行った。7~8分ほど早く着いてしまい、それでも商売だもの出来上がっているよね…と思ってお店に入ると丁度盛り付けの真っ最中だった。お店の方が私に気付いて「すみませんっ、少しでも温かいものをと思って…」と慌てた様子だった。「あ、大丈夫です。私こそ早く来てしまってすみませんっ」と返事をした。これがチェーン店だったら早々と出来上がっていただろう…と思ったのと同時に『少しでも温かいものを…』という言葉にホロリときた。なぜなら、主婦の私も家族の食事は同じ気持ちで用意しているから。
こうしてひとりで営んでいる小さなお店は大型店とは違った空気を感じる。お会計のとき「よかったら、これ食べて下さい。」とシフォンケーキをお弁当の数だけオマケにつけてくれた。そして、お弁当の入った袋を車まで運んで助手席に載せて見送ってもらった。この手厚さに、何だか嬉しいような申し訳ないような気持ちになり、風景となる人の優しさが身にしみた。
秋からグラタンの販売も始まった。グラタン皿を持参するとその場で具材を入れてくれるので、後は自宅で焼くだけの主婦には有難いメニュー。そして、こちらも驚きの500円。今日は気温が高くてグラタンの気分ではなかったけれど、明日はグッと冷え込むようなのでグラタン皿を抱えて行ってみようと思っている。