noteの大人な住人たち
プロフィールにも書いているが、私がnoteを始めた、と言うよりも登録したキッカケは、当時やっていたTwitterで知った ある写真家さんのエッセイを読むためだった。
それからもう どのくらい時が過ぎたかなど考えもせず、時折思いついたように書く日記やブログ替わりの自身の記事よりも たくさんの方の記事を読んで、そこでの学びが多く、楽しくてやめられなくなった事実。
そんな中に身を置いて
・どんどん読み進めたいけど ここからは明日にしようと思いながら その日のうちに読み切ったnote
・内容が凝縮されて わかりやすく纏められた お手本のようなnote
・写真にたった一言を添えただけでその場所の雰囲気を感じ取れるnote、
…楽しいお話から人生イロイロな体験談、心の指針、社会のお役立ちサイト、相談サイト、文学、イラスト…等々、
何でもある一つの街のような 居心地の良い場所であろうとは、追い追い知るところとなった。
何よりも 一番思った事は、他のSNSには感じられなかった「温もり」。
上っ面の温もり・仮面の言葉、その果ての誹謗中傷・集団イジメ的な言葉が ない。
思いやる心がそのままコメントに現れている気がする。
それは 読んでみてから、疑問・異論を感じた時には質問するという形以外に、ほぼスルーしているからかも知れないと勝手に思った。
その分シビアな部分も感じられるが、それも必要で 心地良ささえ感じる。
一言で言うと「心(思考)が高い次元にいる大人な住人たち」を思わせる。
(語弊があったらすみません)
老若男女
静かに想いを綴れる場所。
皆さんのたくさんの言葉から、己を見つめ修正していける場所。
夢を現実にする階段。
noteに出逢えて良かった。
拝見拝読するに note運営側としては まだまだ課題はありそうだけれど、note住民が 、又 これからnotoに住もうとする人たちが、より切磋琢磨して 広く意見交換ができる場所、発信し、フォローし、サポートし、自身の学びと未来への展望を広げ、現実共に心の安住空間を築き上げる事を期待して止みません。
人生 命ある限り 学び❣️ とは、私の祖母の言葉。
今ここで コトリと命が終わっても、悔いない人生と思えるように、その心へ少しでも近づきたいと思う今日この頃。
素敵で可愛い おばあちゃまを 目指して、ユックリでもいい、確実に 今日も行ってみようと思う(^~^)
私にとっては貴重な心の居場所、学びの場所。
みなさまへは、広いお心で見守っていただきたいと、勝手な思考を巡らせて 今日のnoteを閉じますm(_ _)m
いつも ありがとうございます。
ある時は妄想力満開 支離滅裂で、又 ある時は 想い徒然に
琵琶湖より愛をこめて (Mizu)