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嫁ブロックとな

あーもうダメっす。
頭が痛い。

これでもか!!ってくらいに自分の嫌なところが全開。


11月以降、人生の大きな決断に迫られるシーンが異様に増えた。
怒涛…

そもそも11月は子ども達が通っている保育園でインフルが流行。
長男→私→次男・長女と変わる変わる罹患し、博士だけは気合いと根性と若さで回避したが、丸々2週間くらい引きこもり生活になった。

博士は大学10年生にして、今年度の卒業を目指していたが、インフルによる家庭の機能不全によって(それだけが原因じゃないらしいが)、今学期の卒業を断念することに…。

私のインフル罹患3日目か4日目か忘れたが、
やっと解熱した頃に、別の身体の異変に気付く…

『やばい…これぜったい…』

翌日、唯一外出できる博士に頼んでドラックストアで買ってきてもらったのは【妊娠検査薬】。

生理は数日遅れていた。
だけど…
『先月から【命の母】飲み始めたからかな』
とか
『インフルにかかって体調悪かったからかな』とか

生理が来ることを願っている自分がいた。



結果、妊娠していた。



博士に報告。

博士は嬉しそうにハイタッチを求めてきた。

私は…できなかった。


検査薬をしたのが11/29…

『産むか産まないか』

決して変えることのできない事実が目の前にどーんと置かれた。

どちらにしても決断をしないといけない。

博士は産んでほしい。
(堕すという選択肢がなかったと)

私は…どっちだ?


今まで3人を身ごもり、産んだことがあるが
異変を感じてから検査薬を使うまでの間に『できていないでほしい』と、思ったのは初めてだった。

じつは夏頃に4人目を考えていた時期があった。
結局当時はできなかった。







11月29日から12月12日までの14日間、私のお腹の中にたしかにあった命。

術着に着替えて手術を待つ間
『産んであげられなくてごめんね』と頭に浮かんでしまった瞬間に、
抑えていた感情が止められなくなり、看護師さんに心配をかけてしまった。

手術台に上がり、心電図や点滴の準備をしている。
心電図は、緊張と不安でタキってしまい、3回取り直し(おそらく3回目もちゃんと取れてなかったと思う)

もともと血管が細い上に、前日の夜から絶飲食だったため、さらに見えにくい血管…

看護師さんでは点滴が入らず、先生を待つことに。
その間、看護師さんがとても申し訳なさそうにしてるので(私が泣いてたのも追い打ちだと思う)
気の毒になって
職業、隠していたんだけど打ち明けた。
『実は同業なんです。だから気にしないでくださいね。』って。

これは看護師さんあるあるだと思います。
医療機関ではできるだけ自分が看護師であることは隠したい。けど、そっち側の気持ちが分かりすぎるから、あえて打ち明けることがある時もある。

担当の看護師さん『なら余計に申し訳ないです』と言っていたけど、お互いに流れる空気が少しあたたかくなった気がした。

人生で2度目の手術。
静脈麻酔ははじめて。

点滴からプロポフォールが入る。
看護師さんとゆっくり20秒数える

いーち
にーぃ
さーん
しーぃ
ごーぉ
ろーく
しーち
はーち
きゅーう
じゅう
じゅーいち
…あ、頭がなんかビリビリしてきました…
……


『終わりましたよ』


手術は10分くらいで終わったらしい。
とくにトラブルもなかった。




まだぼーっとする意識の中
最初に話したことは
『いなくなった赤ちゃん、産業廃棄物になっちゃうんですか』だったと思う。
(今考えると言いたかったのは『感染性廃棄物』だと思う。採血の針とかを捨てられるハザードマークの付いた頑丈なゴミ箱のこと。)

そしたら看護師さんがすかさず、
『違うよ!ちゃんと専門の業者さんに引き取ってもらうからね。大丈夫。大丈夫だよ。』って。

そうか…少しだけ安心した。


12月12日。

私の人生の中で、忘れることのできない、一生背負っていく選択だった。



その後も急に家を買うかもしれないことになったり(それぞれ別物件だが、博士はローン審査に落ちて、私が現在ローン審査中)、

博士の卒業が延びたことに関係して、博士は急遽1月から起業するという方向に舵をきった。

色んなことが追いつかない。


3人目を産んで育休中。
年度内の入園は厳しく、4月になっても待機はおそらく解消されない。

産後のホルモンバランスの乱れ、母乳をやめたあとの予期せぬ体調の悪化があり、11月頭にはPMS(月経前症候群)の相談を婦人科にしに行っていた。

体調が安定しない中、妊娠判明。
つわりは重いタイプではないが、食べるものが変わったり、車酔いのような状態が続いたりしていた。
身体が『溜め込むモード』になっているのがわかるくらい、全体的にぼてっと浮腫んでいた。

3番目はいまだに2〜3回は夜起きてしまう。
毎日寝不足。
やっと母乳→ミルクに切り替えて体調の変化も、ストレッチやヘッドマッサージしたりして、乗り越えた感があった。
産後の脱毛があり、やっと新しい髪が生えてきた。(生えてきたけど中途半端な長さだから髪型が決まらなくて毎日鏡見るのが憂鬱…)

3人目の『産後』がやっと終わるような気がしていた。

だから、今は耐えられないと思ったの。

『避妊をしなかったこと』が間違いだった。
何も言い訳ができません。

人生ではじめて、中絶について沢山調べた。
今でも年間14〜5万件の手術が行われているそう。こんなに少子化が叫ばれている世の中なのに。

50年前とかは桁違いの件数でした。
びっくりする数字だったので、ご興味のある方は調べてみてください。

世の中、色んな事情で中絶をしている人がいることを知った。
自分には関係ない領域だなと思っていたけど、きっと電車に乗っていれば1両の車両に数人は経験者がいるんじゃないかと思う。(もっと多いかも)

みんな沢山の痛みを抱えながら生きているんだな、と改めて思った。

中絶の当事者が参加できるコミュニティや、婦人科医が避妊や中絶の内服薬の普及など、さまざまに活動していることを知った。


なにより、たった14日間だけど、私のお腹の中に来てくれたチビさんに感謝。

産んでいたらどんな顔だったのかなとか、女の子だったかな、男の子だったかなとか色々考えたよ。

迷って悩んで後悔して、だけど決めなきゃいけなくて。
博士との関係生もなんだか変わってしまった。
彼もツラそうだった。
産んであげられなくてごめんね、というのはチビさんだけじゃなく、博士にも。

博士には『産みたいって思わせてあげられなくてごめんなさい』と言われた。

色んなことが絡まって、苦しかった。

だけど、私に大きな決断をさせてくれた存在だったと理解したい。

『避妊しろよ』と言われたらそれまでなんだけども…。

この決断をした私を、私は抱きしめたいと思う。

中絶したら、街行く妊婦さんとか見たらツラくなるかなと思ったりしたんだけど、
不思議とならなかった。
むしろ今まで以上に、心の中で微笑んでしまう(外にも漏れているかも)。

もしかしたら何年か先に会えるかもしれないねって、その時はよろしくねって、
お腹にいてくれた時に話しました。

だから『産んであげられなくてごめんね』じゃなくて『来てくれてありがとう』って心の中で言い続ける。



毎月12日には花を飾ろうと思います。





『嫁ブロック』について書こうと思ったけど、そこまで辿り着かなかったので、また今度。


重めの話ですが、読んでくださってありがとうございました。

どうか、人の背景に心を馳せられるような、優しい世の中になりますように。

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