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【第8回】『ランビエの絞輪』〈管理栄養士・宇田川 舞が解く栄養ミステリー〉


第8回『ランビエの絞輪』第一章 食行動と殺意 3

 優子の回診が終わったのは、正午前であった。

 舞は優子と一緒に、精神科病棟の事務室を出ると、周りに人がいない状況を確かめた。

「優子先生のお耳に入れておきたいことがあるのです」

 優子は腕時計をチラリと見て、急いでいる様子だ。

「四時の合同カンファレンスの前でも、いい?」

 舞は、小走りで優子の前に出て、強引に足を止めさせる。

「錦城先生のところに行く前でないと、意味がないのです!」

 優子が渋々とだが、「歩きながら聴くわ」と、話を聴く体勢になる。

 舞は横にピッタリと就き、優子の耳元に向って小声で話し始めた。

「今朝、殺害現場を目撃したのです」

 歩き始めていた優子が、反射的に足を止めた。だが、顔の表情は冷徹なままだった。また優子が歩き始める。舞は、今朝、見た光景を、なるべく小声で掻い摘んで話した。優子は相槌を打つだけで、言葉を発しない。

 優子の研究室の前まで来ると、遠目に荒垣の姿が見えた。荒垣は、スマホを耳に当て、小走りでエレベーターに近付き、何度もボタンを押していた。

 優子が、舞に中へ入るよう促す。優子は大きな黒い革張りのPCチェアに座ると、やっと口を開いた。

「私が今朝の容疑者の精神鑑定をすると、思っているのね。舞さんは」

 優子は、静かに笑みを浮かべて、小首を傾げる。

「百パーセント、ないと思うわ」

「女性の容疑者には、女性の精神科医が担当すると、思っていました」

 優子が腕と脚を同時に組んで、舞を見上げる。

「時と場合によるわね。今回は錦城先生ご自身が担当するかもね」

「錦城先生はマスコミが騒ぐような、大物犯罪者しか担当したがりませんよね」

 優子の目の奥が、哀し気に光る。

「精神医療の発展のために、誰が担当するにせよ、容疑者の食生活も訊いてもらうよう、錦城先生に、説得しておくわ」

 優子が、机の鍵を開け、財布を取り出して白衣のポケットに入れる。舞は、これ以上の長居はできないと悟った。

「もう一点だけ。今朝の事件の詳細がわかったら、修士論文の一例として取り入れたいのです」

 優子が立ち上がりながら、微笑む。

「容疑者の血液検査の結果で、薬の服用がわかればいいのにね」

 医療スタッフには笑顔を見せない優子であるが、舞と二人になると、時折り笑顔を見せてくれる。師弟関係とはいえ、志が同じだからだろう。

 だが舞には、今日の優子の笑みは、作り笑顔のように映った。

(つづく)

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