哲学者 和辻哲郎の田舎家
今年のGW期間中、鎌倉市の景観重要建造物である、旧川喜多邸別館(旧和辻邸)の特別公開がされ、この度、お手伝いをさせて頂きました。
これまでは、川喜多ご夫妻が映画人をもてなすゲストハウスとしてのご紹介でしたが、今回、哲学者である和辻哲郎時代、どのように住まわせていたかという視点「哲学者 和辻哲郎が暮らした田舎家」という初の企画でした。
学芸員の方も初めてのことで、学びながら、準備を進めていられてるとのことで、私も事前に資料などを頂き学ばせて頂き、当日を迎えましたが、多くの方がいらしてくれて、様々な角度からのご質問なども受けて、とても刺激を受けた時間となりました。
旧和辻邱は、鎌倉市雪ノ下二丁目、谷戸の高台に建ち、背後の山並みと桟瓦葺きの屋根が調和した和風建築、地域を代表とする魅力的な建物です。内部は太い梁や柱に支えられた、土間や居間があり、風の通しが良く、風情が感じられてます。
歴史を辿れば、寺院が存在していた場所であったと云われています。
前身の建物は江戸時代後期に「相模の大山の麓」にあった古民家、大工の山田源市によって、移築され戦後に改築し、書斎の床の間や本棚の設置、書斎の机の上側の窓、下川の無双窓などが新たに作られました。
田舎家は現代数寄者と、呼ばれる茶の湯を趣味とする富裕層の間で建てられ、主に茶室や別荘、あとには、住宅として使用されました。現存するものは僅かで旧和辻邱は、大変貴重なものとされております。
和辻哲郎は日本的な思想と西洋哲学の融合を目指した哲学者、思想家で、日本独自の哲学体系を目指した京都学派の一人です。
主な著書に「倫理学」「風土」「古寺巡礼」などがあります。
旧和辻邱の書斎の本棚には当時を再現するかのよう、西洋の書籍が並んでおりました。
旧和辻邸を作った山田源市は、大正〜戦後にかけ、横浜、鎌倉、東京を中心に、実業家や文化人の住宅を手がけた大工の棟梁です。
和辻邸以外にも、原富太郎邸(実業家、三渓園)、小林勇邱(岩波書店取締役、鎌倉※現在は山梨)、島崎藤村邸(小説家、麹町)ほか、建物の建築に携わりました。
和辻哲郎が亡くなった後、旧和辻邱は取り壊されてしまいそうになりましたが、和辻哲郎と親交のあった小林勇(岩波書店会長、岩波映画)は、田舎家としての価値の高い旧和辻邱を保存したいと考え、川喜多夫妻に移築を提案し現在に至ります。
平成22年に鎌倉市景観重要建造物に指定され、近年、春と秋に、一般公開、特別公開があり、アーティストのコラボ企画も開催されている、この敷地には水道が通っていないので、企画には制限はあるが、保存を重視しながらも、市民にも開かれた場所であることを今後も期待したい。
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