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【観劇メモ】 「普通」がいちばんホラー 劇団普通 『水彩画』

ここは寄る辺のない、出発点とこれから行く先の中間地点。
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何もない田舎の町にそこだけ不釣り合いな洗練された内装のカフェがある。そこには、知人の絵画の個展を見るために町を訪れた老夫婦、その娘夫婦、そして、地元の年若いカップルの3組の客が居る。混みあう昼過ぎのお茶の時間を過ぎて、夕飯にはまだ早いエアポケットのようなひと時に、静かな時間が流れていく。全編茨城弁で描く家族の肖像。
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劇団普通「水彩画」Webサイトより  http://gekidan-futsu.com/works/suisaiga/



家族、母娘、父娘、夫婦、義親子、結婚を控えた男女、よくある関係性が織りなす“普通”の会話から、ふと漏れ出る言葉。のんびりと温かい印象の茨城弁のはずなのに、それらは時に冷たく鋭く響き、私の耳と心を突き刺した。

年老いた両親と夫と立ち寄ったカフェで、娘でもあり妻でもある女がメダカを眺めながら呟く、「おっかけまわされなくていいね」。

おそらく同棲中で結婚を控えた男女。買い物から帰宅後すぐに冷凍庫にしまわなくてはならないものがあるのに二人して億劫がって動かない。おもむろに女が重たい腰を上げ「やらなくちゃいけないからやるんだよ」と言い放つ。少し圧のある言い方は、諦観しきれない不公平感を男に責めるようだ。

同じく結婚を控えた男女の会話。仲が良かったはずなのに自分に何も言わず東京へ出て行ってしまった男友達を「長男なのに」と詰る男が吐露する。「ひとと違うことをしてると、考えがあるんじゃないかと思われる」「やりたいことよりやらなきゃいけないことばかり」。女が応える、「わたしはしあわせ」。

カフェ併設のショップで〈コーヒー茶碗〉を気に入った母。紆余曲折の末、全方位に気遣った娘の夫が義両親へのプレゼントとして購入するが、一転、そもそも娘が〈コーヒー茶碗〉を欲しがったことに話がすり替わり、母は娘に、娘の夫が母へ買ったそれを持たせる。訳がわからず不貞腐れる娘に両親と夫は口々に「なんでも好きなものがあったら買ったらいいよ」と宥める。〈コーヒー茶碗〉と共に帰宅した娘は涙を湛えながら夫に訴える、「欲しいものがわからない」。

これらは観劇中にメモした台詞。茨城弁の醸す呑気さと、あるあるな家族間の珍妙な間やドリフトする会話に吹き出しつつ、時折顔を引き攣らせて。

場面を思い出しながら改めて書き出してみると腑に落ちる。状況と状況、台詞と台詞、その間にある余白にこそ、わたしの気持ちをザラつかせた引っ掛かりがあるのだと。文字でも絵でもなく、生身の人間による演劇だからこそ身に迫るものがあるのかもしれない。その余白の正体とは。深掘りしてみたい気もするけど、少し怖い。

"普通"とは、慎重に隠された皆のため息の集積なのかもしれない。絶妙なバランスで積み重ねられ、ささいなキッカケで崩れかねない不安定さを持つ。漏れ出た言葉が本心なのだとしたら、はたして私たちは、本心を曝け出す隙を目敏く見つけ“普通”を崩したいのか、膨らませたため息に寄りかかりながら“普通”をキープし続けたいのか。

ずっと地元にいて親の介護を全うしてから絵画展を開いたハナワさんは、“長男なのに”周囲に何も言わずに東京へ出ていったカズ君の「if」なのかもしれない。

劇団普通は「風景」「写真」に続き3本目。その演出は全編茨城弁という作劇からして“普通”とは少し違うようだ。今回は茨城弁に加えて、照明が印象に残った。

カフェに隣接したギャラリーが舞台として用いられ、演者の四方を囲む客席は向こう側の観客の表情が見えるほどに明るい。観客は登場人物の人生の一瞬を覗き見しながら、偶然居合わせた客同士の反応をも目撃し合うこととなり、舞台空間はある種の居心地の悪さと臨場感に満ちる。なかでも、スタンドライトを用いた時空の場面転換が際立ち、作られた暗がりが物語にコントラストを与えていた。

仄明るさと仄暗さが同居あるいは転換する空間そのものが、「寄る辺のない」登場人物それぞれの関係性を象っているようだった。

やっぱり茨城弁がのんびりすぎて少し眠たくなってしまうんだよなぁ。
でも絶対冷や水ぶっかけられる展開があると思うと、次回作も楽しみにしてしまう。




劇団普通 公演『水彩画』
2024年6月17日〜23日
会場:すみだパークギャラリーささや
作・演出:石黒麻衣
出演:用松亮、安川まり、坂倉なつこ、浅井浩介、伊島空、青柳美希
舞台監督:森部瑠音
技術監督:守山真利恵
照明・舞台写真:福島健太
演出助手:青柳美希
宣伝美術:関根美有
制作:及川晴日
主催:劇団普通

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