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『全てに意味がある』と考えていた頃の苦しさ。

しばらく、随分と、『全てに意味がある』
と、どんなことも受け容れようとして苦しんできたけれど、それが自分自身を追い詰める思考だったと、今朝のお散歩(というか息子を送った帰り道)に気付いた。

(この朝のお散歩が中々によい時間。色々気付くし、気温や季節に変化を身体で感じられて良い)

どんな苦しいことも、辛いことも、『意味があるから』と思うことで、【耐えろ】【我慢しろ】と無意識に自分を抑圧していたなぁと感じた。

これは、
苦しいこと、辛いことなど、イノシシの如く一直線に向かってくる出来事を正面から受け止めることであり、受け止めた瞬間の衝撃は非常に強く、受け止めた後も受け止めた際の痛みがしばらく続く。

そして、恐怖する。
次はいつ来るのだろうと、
怯えて過ごしていたような気がする。


こんなことを気付いた瞬間に、
全てに意味があると受け止めるのではなく、「こういうこともあるんだなぁ」と通り過ぎていけばいいや、と思った。

もちろん、受け止めたいものは受け止めればいい。
自分に都合良くすればいい。
自分の人生は自分のものだから、良い意味で自分勝手にしていいのだから。


今、とても嫌なことがあるとして。
それに対して【ああ、嫌だ、これは本当に嫌なことだ】と意識を向けていたら、嫌なことは拡大していくだろうし、心も身体も疲れてしまう。

「こういうこともあるんだなぁ」とあまり気に止めずに通り過ぎてしまえば、負荷は極めて少なくなる。

もっと気楽に、もっとシンプルでいいんだと思った今朝。


悩みがあるということは、現状を変えたいという自己成長の欲求。
進化を望むから、悩みが生まれる。

ずーっと悩みが尽きない私は、ずーっと自己成長をしてきている、と思うようにしたら、とても素晴らしい人生を歩んでいるような気になった。

維持を選ばす進化を目指すなんて、なんて向上心がある人間なんだろうと笑



確かに「今この瞬間」は重要。
でもこれが示すことは「今この瞬間の自分の感情」のこと。
心地良いかどうか、のこと。

だから、今この瞬間の自分が心地良い状態でいられるのなら、通り過ぎてもいいし、受け止めてもいい。


「今この瞬間」をそうやって過ごしていけば、嬉しいことはちょこちょこと起きるし、有り難いなと思えることも起きてくる。

そのうちきっと、
○○で悩んでたなんて嘘みたい!
って思えるような状況に変わっていくのだと思う。

(私は最近、「○○で悩んでたなんて嘘みたい」というアファメーションを時々している。なんかしっくりくるし、妙に納得できるから・・・)


直進を決め込んで、嫌なことを真正面から受け止め「これを乗り越えたら・・・きっと・・・いいことが!!!」ってしなくても、
「あーこれ嫌だな」と横目で通り過ぎて良い。

わざわざ、道に落ちてる犬や猫のの糞を踏まないのと一緒。
糞に気付いたら避けるよね。
それくらいの気軽さでいいんだよ。



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