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ウィンター・オン・ファイヤー

 人が傷つき死んでいく様を目にするのはかなりショッキングだった。攻撃された拍子に転び、起き上がって一歩踏み出すも、また倒れて、それからぴくりとも動かなくなったあの人の姿が脳裏に焼き付いて離れない。撃たれて、ゆっくりと沈み込むように崩れ落ちていく人をこれからも何度も思い出すだろう。雪の白、血の赤、服の黒、それらの中で、ウクライナの国旗の青と黄が鮮やかに映える。

 彼らウクライナのデモ隊を襲っているのは、国の警察特殊部隊だった。丸腰の人が動かなくなるまで鉄の棒で殴り続ける。どうしてそんなに残酷なことができるのだろうかと恐ろしくなった。それでもデモ隊は、自由と尊厳と未来の子どもたちのために立ち向かい続ける。ナショナリズムとは何だろう。未来の子どもたちのために、もう子どもではない自分は何ができるだろう。

 当時の親ロシア派のウクライナの大統領がEUへの加盟を反故にしたことで、「ヨーロッパ」というアイデンティティを求める人々が、デモを起こし、多数の死傷者を出しながら90日あまりのあいだ戦い続けた様を映すドキュメンタリー。「自由が手に入るなら命は惜しくない」と語るウクライナ人の勇気には感服する一方で、命を賭けなければ自由が手に入らない世界があることを改めて知る。大学で国際関係学の授業はいくつも受けたけれど、戦争もナショナリズムも、理論はあとからくるものでそれらに先立つのは人々の感情や衝動なのではないかと思う。

 特殊部隊が広場のデモ隊を崩そうと大勢の人が押し合うなかに、教会の鐘が一斉に鳴り響く。最後にその教会の鐘が全て鳴らされたのは、1200年代にタタールが侵攻してきたときだ。そしてその日はじめて、デモ隊は特殊部隊を退けた。何を信じていようとも、何も信じていなくても、宗教は争いの傍にある。

 バリケードに囲まれた冬の広場で、人びとはピアノを弾き、踊ってキスをする。それらが神々しい光景のように見えた。実弾が飛び交い死体が転がる道で、木の盾を持った16歳の少年が母親に電話をする。


「ママ、愛してるよ」。


 


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