伏見港
港と聞いて一番最初に頭に浮かんだのは、今は死語かもしれない「マドロス」という言葉だった。
セーラー服でパイプを咥えた姿が思い浮かぶ。埠頭の出っ張りに片足を乗せてカッコつけてる姿も思い浮かぶ。港々に女がいるというイメージもあるが、そのような華やかな生活をしているマドロスは、きっといたとしてもごく一部だろう。
で、これ以降の話はマドロスとは何の関係もない。
私の住む京都市には海がない。だから当然港もない。
と思っていたら町の南の端に伏見港があることを思い出した。
もっとも旧市街に住む者にとっては伏見や山科、嵐山でさえも京都市内とは認めていない節がある。
それは内裏や御所を中心に考えるからであって、
「天皇はんはいつ帰ってきゃはんのやろなぁ」
と未だに結構なお年寄りからは聞こえてくることがある。
話が逸れたが、伏見港は豊臣秀吉が伏見城築城の際、物資輸送のために開いたとされる。大阪湾から淀川、宇治川を遡れば伏見港に行き着けるということのようだ。
江戸時代には参勤交代にも船便が使われた記録があり、幕末には大勢の志士が利用した。かの坂本龍馬も伏見港の船宿「寺田屋」を定宿としていた。
この寺田屋、すでに船宿ではないが現存し、刀傷や銃創のある柱や壁など妙に生々しい雰囲気を見学することができる。
逆に伏見桃山城は、城としての姿は認められるものの隣接した遊園地も閉園し、城自体も耐震基準を満たしていないので立ち入ることができない。
ただし、伏見城の遺構が京都のあちこちの寺などに移築されている。それを探してみるのも新しい旅の醍醐味となるかもしれないと秘かに思っている。
ついでに伏見の街を少しご紹介すると、良質な地下水に恵まれているお陰で酒蔵がいくつもある。お酒を嗜まれる方は飲み屋のハシゴでなく酒蔵をハシゴするのも乙なものかもしれない。
さて本題の港であるが、今は往時の賑わいはまったく感じられない。わずかに三十石船、十石船として近隣を1時間弱の船旅ができる程度だ。
そして度重なる河川改修により大阪へ下る船旅は二度とできなくなった。
伏見港からゆっくり川を下り大阪湾までの船旅がしてみたかったとふと思った。
京都情報第2弾でした。
青ブラ文学部 お題「港」に参加させていただきます。
山根さま お世話になります。よろしくお願いいたします。
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