ノノさま~ アン
我が敬愛するノノさまに捧ぐ?
突然半世紀以上前のことを思い出した。
それが表題の「ノノさま~ アン」だ。
私が今年お世話になった noter のお一人にノノさまと呼ばせてもらっている方がいらっしゃる。
文章がお上手で、品があって、ある意味不思議ちゃんでもある。それでいて落とすところではキッチリと落とすし、笑わせるところでもキッチリと笑わせてくれる。ダークな面を発揮されると恐ろしいほどに怖くなる。
読む人の心を文字の羅列だけでがっちり捕まえてしまうノノさまは私の憧れでもある。
そのノノさまにあろうことか自分からコラボを持ち掛け、ノノさまが書かれたある夫婦の妻の視点の物語に対し、その夫の視点で物語を書かせていただいた。
何とかやり遂げられたのは無上の喜びとなった。それが例えゲス野郎の評価であってもだ。
断っておくがゲス野郎の評価は私にではなく私の描いた主人公に対してである。と思っている。そうであってほしいと願う。私ではありませんように。
本来であれば私のような爺いと年若いお嬢さん (私からすれば、おそらくほとんどの方がが年若いお嬢さんに当たる) が共同で何かをすることなどないだろう。これは note のお陰と感謝したい。
さて、そのノノさま。
ずっと「ノノさま」って呼び方になんか馴染みがあるなって思ってたんだけど、それがある日突然、記憶の底の方からノノさまの正体が浮かび上がってきたのだからビックリした。
私は幼い頃、仏教系の幼稚園に通っていた。
今はその幼稚園にもホームページがあり、順に覗いていくと確かにノノさまがいらっしゃった。
そこにいらっしゃったのは阿弥陀如来さまであり、その如来さまがノノさまと呼ばれていた。
なぜ阿弥陀如来さまをノノさまと呼ぶのかはいくつもの説があり、私が納得できる理由がなかったのでここでは披瀝しないことにする。
調べてみると月のこともノノさまというそうだ。
毎日登園するとノノさまの前へ行き、両手を合わせ首を垂れてアンと拝んでいた純真無垢だった頃の私を思い出させてくれたノノさまに感謝する。
幼き頃の記憶と現実社会が唐突に繋がった。こんなことは珍しいのかもしれない。
まさか note の中にいらっしゃるノノさまは如来さまではないだろうが、今年お世話になったことを思えば、両手を合わせ、首を垂れてアンと拝みたい思いだ。
観音様でなくてよかった。
ノノさま 勘弁です。結局は出汁に使っちゃったみたいです。
今度からはちゃんと両手を合わせ、首を垂れてアンとお祈りしますから。
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