小人の旅便り イタリア半島の爪先から靴底を通って (1)
イタリア半島のブーツの南端には爪先からカラブリア州、バジリカータ州、プーリア州の三つが並んでいる。これまでカラブリア州、プーリア州に旅行で行ったことはあったが、爪先にある都市レッジョ・カラブリアは、シチリアに行く途中で通過したことしかなかった。イタリアの全ての州を通ったことことがある、から全ての州に旅行に行ったことがある、にしたいと妙な達成意欲がここ数年湧いて来ていたのだが、コロナ禍の影響で旅行が難しくなったことや、地理的に何かの途中で立ち寄るという場所じゃないといった理由で、再び南イタリアに足を伸ばすのは今になってしまった。
南イタリアで何を見よう?洞窟住居で有名な世界遺産マテーラ(Matera)、レッジョカラブリアの博物館にあるリアーチェの戦士、それから足の裏から土踏まずのあたりの海岸線を電車で走ってみたい。
空港は西のレッジョ・カラブリアと東のバーリがある。飛行機の便の都合で、西から入って、東に抜けることにした。
計画するのが遅かったので、私が住むドイツからレッジョ・カラブリア行きの安い航空券は2回乗り換えしなければならず、早朝出て、夕方4時過ぎに着いた。ミラノ空港で乗り換えた後、隣り合わせになった南イタリアの人たちが遠過去の形を使って話していたので、感動した。北イタリアの人たちはこの形を会話では使わないから。
空港も駅も海に近く、メッシーナ海峡を挟んで対岸のシチリア島が見える。天気が良ければ、煙を吹いているエトナ山を臨むことができる。
夕方に到着したので、夜8時まで開いている考古学博物館へと急いだ。
紀元前5世紀の古代ギリシアの彫像で、1972年にリアーチェ(イタリア半島の足の裏の方にある町)沖230m、水深8mで、アマチュアダイバーから、海底に腕が突き出ている、という報告があって、発見されたということだ。ブロンズというのは溶解して武器にすることが容易なので、古代のブロンズ像が残っていることはごく稀なのだそう。発見当時どんなに大騒ぎになったか、容易に想像がつく。銅像はフィレンツェに輸送され、修復されたそうだ。国立レッジョ・カラブリア考古学博物館ではこの2体のみの特別展示空間があり、見学できる人数が限定されている。荷物をロッカーに預けて、展示室に入ると、存在感に圧倒される。実際は198cmと197cmの高さで、大きめの人間の実物大なのだが、台座に立てられているせいか、もっと大きく感じられた。背後からもみたが、紀元前5世紀のリアリズムと技術に驚嘆するよりない。誰が作ったのか、誰の像なのか、なぜ海底に眠っていたのかなど未だに解明されていない。現代のイタリアでは南イタリアは北イタリアに比べて、経済的、文化的に立ち遅れている地方と看做されてしまうが、こうした文化遺産を見ると、文明の揺り籠の地中海に突き出た南イタリアには文化的な深さがベースにあることを強く感じる。
考古学博物館を出ると、外はもう暗くなっていた。クリスマスじゃない時期に街中の電飾を見ると、南イタリアに来たことを実感する。
イタリアの良いところは、夕食の後あたりに街に出て、夜の散歩をする習慣があるところ。レッジョ・カラブリアでも人がたくさん出歩いていた。でも、やたら人が多いし、電飾も多い。これは普通の人出じゃないのか?と思って、教会前広場に出ていた露天の女性に「今日はお祭りなの?」と尋ねたら、「そう、10日間のお祭りの最後の日なんです」ということだった。例年のマリア様のお祭りで、コンサートや街を練り歩く行列などもあるそうだ。嬉しそうに微笑みながら、教えてくれたので、ほっこりした気持ちになりましたよ。ここは人当たりが柔らかい気がする。
レッジョ・カラブリアは1908年のメッシーナ地震により壊滅的な被害を被った。犠牲者は全体で7万人とも8万人とも言われている。確かに、その起源が紀元前3千年とも言われている都市にしては古い建物が少ないと思った。この教会も(正式名
メトロポリタンバシリカ司教座 天国への被昇天の至聖マリア大聖堂。 至聖って、最も聖なる、という意味なんですね。)倒壊してしまったため、再建され1928年に再び教会として利用されるようになったそうだ。
20世紀初めに地震で壊滅的被害を受けたことを除けば、住みやすそうな都市だと感じた。