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広島に産まれて
長崎原爆の日に合せて紹介します。「広島に産まれて」は被爆二世の同世代の男性が(サークル活動で接点はあったらしいが憶えていない)作った「血のにじむような」主張の記録映画です。ビデオ映画ですが、カメラは一人称で監督が撮影するものになります。映画は1988年に当時、東京のプログラミング会社に勤めていた監督本人が茨城県の原子燃料のペレットを製造する会社に溶接ロボットのプログラミングで出張するところから始まります。上野駅を出て茨城の当該駅に着くと、駅前で原子力燃料移送反対のデモが行われています。駅前からタクシーに乗り込み工場へ行くと厳重な警戒のもとで持ち物を預けさせられここでカメラの映像は止まります。以後は工場から退場までの間はイラストでの表現となりますが、やたらブリーフ姿のおっさんが出てくるのは全てを着替えて被曝量を測定するパスケースを吊り下げての入所にしてもそれ必要あるのな内容です。紙一枚落としても廃棄な環境で主人公の監督はペレット溶接ロボットの修理とプログラミングを行います。作業を終えビジネスホテルに行く主人公を反核運動家たちが取り囲みます。そして糾弾に似た行為をしますが、このあたりは映像は無く音声だけです。それも途中からです。コートの中のマイクロカセットを使った録音でした。ここで主人公は関東の反核運動家のあまりの無知さに絶望します。やらなくてもいい反論をしてしまい最後には自分が被爆二世であることを明かし、手元を見ない形で折り鶴を折って喰ってかかった運動家に謝罪させます。他にも原爆の日に式典生放送しているのがNHK以外ではズームイン朝!内での放送の日テレだけなのを知って、フジテレビはともかくTBSもテレビ朝日も放送していないことを「広島ローカルだからなあ」と達観して語るシーンがあります(映像はザッピングして映し出されるテレビ映像で監督本人は登場しない)。後に山陽自動車道のシステムプログラミング担当になった主人公は広島に帰郷しますが、8月6日の原爆の日慰霊祭の形骸化と平和平和でやたら海外出張する市長に絶望していることを語っています。何よりも彼にとって許せなかったのは原爆ドーム前の売店と平和公園内の売店を廃却していたことです。公園として憩いの場であった広島平和公園を聖地として整備を広島市が始めてた時期でした。アニメはだしのゲンも許せなかったようで、原作漫画、実写映画、アニメ版の同じシーンを並べた映像でいかに伝わってないかを主張していました。このあたりの映像は勝手に使用しているものと思われます。また、原爆記念館(今は資料館に統合済)や公会堂(こちらも統合済)に飾られた著名な画家の絵を何の意味も無い愚作と厳しく糾弾しています。そして当時原爆記念館に大量に飾られた被爆者本人が描いた体験談の画を大量に隠し撮りしたものや画集から接写したものを公開して「無意味な気取った芸術家の絵には意味が無いから外せ!被爆者が描いた絵を大きく引き延ばして大量展示しろ!」との意見を書いて投書箱に入れて平和公園を去ります。最後は爆心地の病院の下で被爆者の監督の恩師(顔半分ケロイドの女性)に思いの丈を語って貰ってこの映画というかドキュメンタリービデオは終わります。「ゆきゆきて神軍」を見て変に影響された監督が結婚前に作った無茶ぶりなダビングビデオ作品でしたが隠し撮りに隠し録音に再現イラストにテレビ映像の無断使用に資料館等の無断撮影をまとめた昭和から平成まで10年にわたる映像をまとめた作品でした。身内だけの上映でしたが、映画本編開始前の冒頭高校生のSさんが被爆者の緑色の表紙の手記を何本も読んでなきじゃくってるのが印象的でした(撮影監督である主人公が登場するのはこのシーンのみ)。1980~1990年を行ったり来たり、無断使用のテレビ映像に、映画、漫画、アニメ、隠し撮りの平和公園資料館記念館。音声のみで実際にどうだったか真偽不明のイラストシーン。ラストこそ音声のみかイラスト使用でよかったのに恩師にケロイドの顔をさらさせて語らせる演出。何より自分の備忘録か自己満足に過ぎない一般公開できない映像。私はこの映像作品にはかなり批判的です。原爆ドーム前のダイインのシーンや平和大行進で大渋滞が起こっていて追い越しざまに罵声を浴びせられる映像や平和公園周辺を周回して拡声器で叫び続ける右翼街宣車の映像など残したいという感情は理解できますが、クライマックスシーンの一つが中曽根総理が広島市立舟入病院で被爆者にかけた「疾は気から」発言です。被爆者のおばあさんは特に気にもとめず総理に声をかけられたことを感動していたのですが、元気な被爆者やマスコミが問題発言にしてしまいました。