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歩くパンセ

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歩く人の思索です
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#言葉

「歩くために歩く」とは言葉にならない世界を言葉にしないまま生きる覚悟をすること

先日27日の土曜日、第10回「湘南を歩く人」を久しぶりに開催しました。 「天園を歩く人」と題して、鎌倉の北側を囲む山々の尾根沿いの道を歩きました。 「湘南を歩く人」、緊急事態宣言中は故あってお休みしていましたが、いつの間にやら春になっていたようです。 この間は、色々なことをじっくりと考えたり、悩んだりしていました。 それは言葉にすると溢れ落ちてしまう何かについて、だったように思います。 あるいは、言葉が切り落としている世界の広さについて。 そうした曖昧さに自然と目が向い

人の言葉、社会の言葉~言葉を救うということ~

言葉が持つ意味には「人に属する意味」と「社会に属する意味」があると前々回の記事で書きました。 それを書いてみて始めて僕は言葉の意味が「人」と「社会」で大きく分離されていることに気が付きました。 それ以来、普段使われている言葉がどちらの領域に属しているのかを何となく意識して考えるようになりました。 そして、あれ?っと何か引っかかる言葉は、大体「社会に属する意味」を持っている言葉かもしれない?ということがぼんやりと見えてきました。 先日最新号が発売となった、プライベート出

歩く人③

実は言葉をあまり信用していない。 と、いきなり何のこっちゃって感じだと思うし、今これを書いているのも言葉じゃん! というもどかしさもあるのだけれども。 以前文章教室について書いたnoteで(⇒リンク)、「一つの言葉が、人によって全く違う意味を帯びてくることがとても面白」い、ということを書いたけれども、それと同時に、実はとても危ないことでもあると思っている。 これは文章教室に行くずっと前から、十数年くらいずっと考え続けていることで、特に20代のころ、記者をやっていた時には、言