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――道の分かれ道に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれ であるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。 つい先週、「湘南を歩く人」に参加してくれたNさんが、この聖書の引用文から始まる短い小説を書いてきた。(※聖書のどこからの引用かは聞きそびれてしまった) つい昨日、横浜で開催された「道草の家の文章教室」で僕はこれを読ませてもらったのだが、これが非常に唸らされる小説だった。 (→読んでみたい!と思った方は「道草の家の文章教室」にご参加ください
難所に差し掛かった・・・ と、思った。そう思ってみて、なんだかまるで雪山でも登っているかのようだなと、少し可笑しくなった。 それはただの散歩だった。ただの散歩だったのだが、その道はこれまでの散歩道で、最大の難所だった。 5日間に渡る長い散歩も最終局面を迎えていて、この日は午前10時に小田原駅を出て、湯河原を目指して歩いていた。 辻堂から小田原までは、きれいに整備された国道に沿って歩いた。海沿いの平野に切り開かれた直線に近い一本道は、散歩にちょうど良かった。 何
今日は、ふとしたきっかけで知り合い、歩く企画に興味を持っていただいた経営者の皆さんと一緒に、朝から代々木公園周辺を歩いてきました。 「代々木を歩く人」企画で歩きながら歩く企画考える歩く企画です(笑 皆さん僕が想像していた以上に歩くことに造詣と関心が深く、中には湯河原から日本橋まで歩き通した方もいらっしゃって、これには僕も驚きました。 そして、歩くことの良さを自然に共有できることが、僕はとても嬉しく思いました。すでにご自身で歩かれ、歩くことから多くの気づきを得ているメンバ
昨日17日(土)に、湘南の散歩屋さん企画「第1回湘南を歩く人」を、 雨のため中止いたしました。 だが、決行する! ということで、会自体は中止(遠方から来られる方が超気軽な気持ちでキャンセルできるように)でしたが、 「雨? そんなの降ってるくらいがちょうど良い(漢)」 という有志のメンバー2名と一緒に、1回目の「湘南を歩く人」を開催して来ました。 朝9時半の鎌倉駅は小降りで、歩けないほどではありませんでした。 お二人とも、僕が時々遊びに行っている「道草の家の文章教室」でよ
以下の文章は、僕が歩くこととその周辺について考えているときに、頭の中に巡っている(歩いている)何かを流れるがままに記した雑文です。脳内メモです。 正直、読む価値はない。けど、歩くことがいったいどこまで派生するのか(勝手に歩き出すのか)、その欠片をばら撒いておくのも面白いかもしれないです。知らんけど。 というエクスキューズなしに文章を載せられないのは悲しいことだと思うけれども、それも誰のせいでもなく、自分のせいである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜の散歩道 身体のリズムを感じる。静かさがある。 暖かい5月の日の夜、優しい風の日が良い。 木の葉のそよぐ音、遠くから風鈴の音。その調和を感じる。 音の少なさが、心を集中させてくれるのかも。 木々の香り、花の香り、日中よりも強く感じる。暗闇で視界が閉ざされている分、他の感覚が敏感に働いているのかもしれない。 音に注意を働かせる。足音のリズムを周りの音に調和させてみる。それはドラムだ。自動販売機はベース。エンジン音がギター。風で擦れる葉っぱが、ボーカルだ。 音と歩行は呼応する。