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forest forest

今までのアーカイブはコチラ→ https://www.niwatomori.com/forest_forest_map/ 森の案内人・三浦 豊が、月に数回、日本中の森林、木々の営…
キャラ立ちした木々、無数の森林や名所・・・、 森目線になると、日本はほんとうに、すばらしいことにな…
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#縄文

9500年前の森

上の地図の赤い丸、鹿児島県、霧島( きりしま )市の海岸沿いに、 標高が250m ほどの台地があります。 昭和61年( 1986年 )、その台地の上で、大発見がありました。 丘の上には、

1日で1万トン

東京都、武蔵野市の、吉祥寺( きちじょうじ )駅の駅前です。 休日は、多くの人で賑わっていました。 その駅前から、歩いて5分くらいで、 井の頭( いのかしら )公園が広がっていました。 井の頭公園は、井の頭池( いのかしらいけ )のまわりに広がっている広大な公園です。 池には、スワン型のボートが、たくさん漂っていました。 そして、池のまわりの散策路は、 深い木立( こだち )に包まれていました。 そんな、池に沿った木立の中の道を歩いていると、 思いがけな

音江環状列石

北海道、深川市の郊外にある、音江環状列石( おとえかんじょうれっせき )へ行きました。 数件の住宅がある平地に車を駐車して、 丘の上へ登りました。 しばらく歩くと、平らな丘の上に着いて、 今から数千年前の縄文時代につくられた環状列石( かんじょうれっせき )が、姿を現しました。 そこには柵もなく、「 なんなのだ、これは・・・ 」という、静かな衝撃が広がりました。 列石をよく観察してみると、

火焔

新潟県、十日町市( とおかまちし )の、十日町博物館です。 近年、この博物館が、新たに開館しました。 中へ入ると、すばらしい世界が広がっていました。 十日町は、日本でも有数の豪雪地帯で、 雪と共に生きてきた、人々の生活が展示されていました。 そして、この博物館の奥には、まさに「 日本の宝 」が、並んでいました。

チカモリ遺跡

石川県、金沢市内の公園です。 子供たちが走りまわっている所に4つの切株があったので、近づいてみました。 そして、芝生の向こう側へ目をやると、 さらに不思議なモニュメントがありました。 なんと、このモニュメントは縄文時代の木柱群を復元したようで、サークル状に配置されている「 ウッドサークル 」でした。 ここは「 チカモリ遺跡 」と呼ばれていて、今から3000年から2300年前の縄文時代晩期の遺跡です。 すぐ横に資料館があったので、さっそく行ってみました。 そこ

五木ひろし  ・  野生のリンゴ  ・  縄文

福井県、三方五湖( みかたごこ )です。 入り組んだ海岸線のすぐ近くに、5つの湖が広がっています。 そんな三方五湖の、象徴的な存在の山が、 梅丈岳( ばいじょうだけ )という山です。 湖から見るとよく目立ち、その山容から三方富士( みかたふじ )とも呼ばれます。 レインボーラインと呼ばれる車道を通って、その山頂直下へ行ってみると、 リフトがあって、その先の梅丈岳( ばいじょうだけ )の山頂は、 眼下に三方五湖が広がっていました。 そこは山頂公園と呼ばれてい

縄文アラカシと、そのII世

( 前回のつづき ) 佐賀市にある、佐賀県立博物舘の庭へ行ってみると、

4500年前のドングリ

佐賀県、有田町( ありたちょう )にある、坂の下( さかのした )遺跡です。 ここで、1967年( 昭和42年 )から1970年( 昭和45年 )にかけて2度の発掘調査が行われました。 そして、その発掘調査で、今から約4500年前の縄文時代に作られた21基の貯蔵穴( ちょぞうあな )が発見されました。 貯蔵穴の直径は70cm前後が平均的でしたが、最大のもので直径が2.5m、深さは1.2mもありました。 貯蔵穴は食べ物を蓄える所だったようで、縄文時代後期に食料として

丘の上で歌おう

( 前回のつづき ) 北海道、北黄金貝塚公園(きたこがねかいづかこうえん)です。 かつての集落の谷あいには湧き水から小川が流れて、割れた石器が置かれた所を通っていました。 その小川に沿って歩くと、ふたたび遺跡の入口に着きました。 復元された縄文時代の家の右側に、なだらかな丘があるなあと思い、なんとなく眺めていると、稜線に白いものが見えたので行ってみました。 僕が行ったのは9月で、ここは標高が低い所だから、さすがに残雪ではありません。 その白い所に近づいて、僕は仰天

石の蘇り

北海道です。 畑や牧場が、雄大に広がっています。 そんな北海道で、最近、個人的に注目しているエリアがあります。 北海道南部の噴火湾に沿って点在している、縄文時代の遺跡群です。 まるで早口言葉みたいですが、環噴火湾文化園( かんふんかわんぶんかけん )と呼ばれています。 このあたりです。 当時の日本の人口分布を考えると、とくに縄文時代後期には、北海道南部に多くの縄文人が住んでいたようです。 ちなみに縄文時代の人口のピークは26万人で、縄文時代後期頃とされていま

4000年目の花

( 前回のつづき ) 圧巻の、椎( しい )の巨木の森を歩いて、 ふと地面を見てみると、 たくさんの、 椎の花序( かじょ )が落ちていて、 3mmくらいの小さな花が連なっていました。 能登半島には、行ってみたい場所がもう1ヶ所ありました。 それは、真脇( まわき )遺跡です。 今から39年前の1980年に発見されたこの遺跡は、縄文時代の遺跡で、今のところ北陸地方では最大級の規模を誇っています。 遺跡からは、通常は残りにくい木製品や、植物の種子、動物の骨など

森の思想が人類を救う

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6000年間

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