後輩に先輩の思いを伝える大切さ(1)
shogoです。
今年で社会人16年目を迎えます。
この年になれば、嫌でも中堅という立場に立っています。
上司も会社に入った当初に比べれば様変わり、後輩もどんどん入ってきます。
当然、指導していきます。早く仕事を覚えて、一人前の社会人になってほしいからです。自分も立派に仕事ができるまで教えてもらったように、早く会社の役に立つ人材に育ってほしいんです。
というのは・・・建前でww
働く意味
皆さんは、会社で働くって、どう思われますか?
私は、生活のためです。
会社から賃金を貰って生きています。
会社がお金を払ってくれるから、衣食住を約束してくれます。
会社側は、働く人に何を求めているんだろうって考えたら、会社の利益だと思うんです。
利益=売り上げを会社に貢献しないと会社側は損です。
いつから、会社で働くって生活のためになったんだろうと思いました。
漠然と今まで働いてきたものの、いざ後輩を指導するときに、どこか恥ずかしい自分がいます。
後輩が仕事に何を求めているのか、理解してあげることは大事と分かっているものの…
自分は会社にたいして、やりがいも昇格にも興味がない。
これで後輩に仕事に生きがいを見つけろだなんて、熱く語れる資格もないんだろうなと感じています。
「やりがいを見出してあげたい反面、自分はやりがいを求めていない」
仕事にやりがいって必要?
今の20代の子って、仕事に何を求めているんだろうか…
最近、入った後輩を見ていると
「この仕事をやりたくて入ってきました」
「前から、この仕事に興味があって入社したんです」
って子が入ってきている。
非常に良いことだし、自発的に仕事に取り組んでくれる。
だからこそ自分と比較すると少し胸が痛い。
おそらく、自分も最初は「この仕事がしたくて」なんて決まり文句で入社したんだと思う。(薄れゆく記憶の中だと…)
でも、気がついたら、仕事に対してのやりがいなんて求めていない人間に成り下がっている。
それが楽なんだと感じている。
「仕事にやりがいを求めなさい」
歴史上の先人たちは、こぞって謳い文句にしている。
やりがいがあるからこそ、仕事を頑張れるし、続けることができる。
反面、危うい一面もあるなと感じている。
どうして、そんなことがいえるのか?
一つに、どんなにやりがいのある仕事でもつまらない部分が出てくること。
地味で単純で多くの回数を熟さなければいけないときもある。
「こんな作業、俺がやる意味ある?やりがい関係なくね??」
なんて言い訳しだしたら危ない。
一度、挫けたら仕事にやりがいがあろうがなかろうが、人間は楽する方に流れてしまう。
2つ目に、やりがいでは乗り越えられない状況があること。
例えば、環境。
仕事にやりがいを感じていても嫌な先輩はいる。
眠たくても、何時間もかけて出社しないといけない場合もある。
体調不良なんてのもある。
ちょっと頭が痛い、お腹が緩いぐらいで会社は休めない。
日本人の真面目にコツコツ仕事に励むという美徳意識が織りなす負の連鎖だ。
仕事にやりがいを感じるって、やりがいを感じなかったら仕事しないの?って思っちゃう。
当たり前のように毎日、仕事はあるし、辛くても仕事をしないといけない。
そんな時にやりがいを感じないので、仕事しませんは社会人として通用しないだろう。
後輩の指導に「やりがい」という言葉を使わない
後輩に指導するとき、葛藤がある。
自分は仕事に対してをサボってるわけじゃないし、真面目に頑張っているつもり。
ただ、会社に何かを求めるっていうスタンス(やりがい)が欠けてしまっちゃっている。
仕事にたいして、やりがいを求めていない自分がいる。
こんな話を入社仕立ての新人に話しちゃうと、夢も希望もない訳でして。(やりがいなんて仕事に求めても、ろくなことないぞという反面教師のような思考)
ただ、それでも仕事を覚えてもらって、後輩には一人前になってほしい。
入社した以上、会社の利益を生み出す人間にしないと生き残れない。
(それが会社という組織の集まり)
先輩だからこそ、後輩にどんな思いを伝えるべきなのか…。
こんな諦めかけの自分でも、15年間、勤め上げた中で持論のようなものはできた気でいる。
「仕事って大変だぞ、でもやりがいを持って仕事すれば必ず報われるぞ」
なんて大きな顔はできない。
自分が経験した中で後輩に伝えられることはあるかなと感じている。
失敗談やホウレンソウの大切さ、社会人としての規律なんてものは教えれそう。
やりがい、やる気を求めない先輩の話を誰が聞いてくれるのか?
ちょっと矛盾していると思うけど…自分はそう思わない。
自分の話を後輩が聞いてくれるよう、努力はしている。
どんな努力をしているのか、参考程度にいくつか紹介させてもらいたい。
👉次回に続く