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2009年6月27日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 日本でフィットネスというとトレーニングや健康指標を表すが、米国留学中のユタ大学で、スポーツ生理学とはフィット(適応)ネス(能力)=適応能力を学ぶことであると教わった。 例えばフィットネスクラブで行う筋力トレーニングも適応と言う視点から見ると、トレーニングのよって筋肉が大きく太くなり、より重いものを持ち上げられるようになる為の筋肉適応と考えられる。
2009年4月4日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 2月19日、76歳の父・雄一郎が全治3ヶ月の大怪我を負った。札幌のスキー場で競技会の飛び出し防止目的に作られたコース脇の大きなバンクから3㍍ほど飛ばされた。腰を強打し、骨盤4箇所と肋骨が折れた。 僕はその一報を聞き、ひやりと背中につめたいものが走った。75歳以上の高齢者が介護の必要となるケースの15%は下半身の骨折が原因だ。高齢者の下半身の骨折は寝たきりの状態を引き起こし、認知症や多くの疾患を引き
2008年11月22日に日経新聞夕刊に掲載したものを修正加筆したものです。 先日、ある雑誌の対談で筑波大学の村上和雄名誉教授と話す機会があった。以前このコラムでも紹介したとおり、村上先生は高血圧を引き起こす酵素「レニン」の発見やイネの遺伝子解析に関わってこられ、現在笑いや感情が遺伝子に及ぼす効果を研究している。 この対談では「アホ」になることについて真剣に話し合った。ここでいう「アホ」とは焦らず、おごらず、くさらず、陽気に笑い人を笑わせ、不器用だがすべてに前向きに取り組み
2008年10月18日に日経新聞夕刊に掲載したものを修正加筆したものです。 先日、女子レスリングの浜口京子選手が右ひじの故障を抱えながらも、世界選手権で銅メダルを獲得した。彼女の精神力の強さに驚くばかりである。 僕自身、リレハンメルオリンピックに出場するまでには怪我を乗り越えなければいけなかった。 オリンピック選考会の一つ、ブラッコム(カナダ)での大会で大転倒して、右すねを強打し、緋骨と脛骨の間の筋膜を極度に炎症させてしまった。 スキーブーツに足を入れるどころか、足を
2008年7月12日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 父・三浦雄一郎は心房細動という不整脈を持っていた。これは通常の10倍近い頻度で電気信号が心房内に発生し、心房を細かく震えさせ心臓の収縮を阻害してしまう症状だ。そのために運動能力を低下させたり、心房内の血液がうっ血し血栓を作りやすい状態になってしまう。
2008年7月5日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。 2008年5月21日、僕たちはアタックのためにC1を出発してC2に向かおうとしていた。出発が予定より少し遅れてしまったせいか、強烈な日差しが「氷の砂漠」と呼ばれるウェスタンクームの氷河を照らしていた。ヒマラヤは寒いイメージがあるが、このウェスタンクームは左手にエベレストの西陵、右にヌプツェ、そして正面にローツェに囲まれた谷底にあり、反射された太陽の光は容赦なくすべてそこを歩く者を照らす。そのため太陽が
2008年5月24日に日経新聞夕刊に掲載されたものです。 この記事か掲載される頃(2008.5.24頃)、僕と父の雄一郎はエベレスト山頂に向けて最終アタック体制に入っているだろう。 標高5300㍍のベースキャンプを20日に出発した。気候や体調などの条件が整えば、大体6日で山頂にたどり着く。もっとも前回の2003年は悪天候の影響で予定より5日も多く途中のキャンプで費やしたから、登山の計画など当てにならないのだが・・・。 出発前日は最終調整に追われた。登山道具、医療機器
2008年5月10日に日経新聞夕刊に掲載されたものです。 4月30日、エベレストで”高度順化〟をするため標高6000㍍の第1キャンプへ登っていたとき、ベースキャプで通信を担当する兄の雄大から連絡が入った。「子供が生まれた!」。日本で生まれた僕の最初の子供は、男だった。 父の雄一郎とベースキャンプまで引き返す4時間、自分自身が父親になったことが夢のように感じられた。僕にとっての三浦雄一郎とは、ずっと、冒険における相棒であり、ライバルだった。しかし自分が親になってみた今、
先週、僕らのチョモランマ遠征は大きな決断をすることになった。それは当初予定していた中国・チベット側からのルートをネパール側へ変更することであった。僕達の日本出発と同時に勃発したチベット自治区での騒乱の影響で、予定していた4月5日のチベットの入域がかなわなかったからだ。 今回のルート変更に関して、チーム内で様々な意見交換があった。ベテラン登山家である村口さんとは、山のルートのこだわり方について延々と話し合った。それはクライマーとして<ルート>は重要な意味を持つからだ。
本記事は2008年3月8日に日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです チョモランマ山頂の標高8848㍍では20歳の青年でも90歳の体力になるという。この値は、人間の有酸素能力が標高と共に低下する値を体力年齢に置き換えたときに算出された推定体力年齢である。(鹿屋体育大学・登山運動生理学・山本正義) この考えを当てはめると、2003年に三浦雄一郎が70歳でチョモランマ山頂に立った時の推定体力年齢は143歳。この推定体力年齢は122歳の世界最高齢で生涯を全うしたフラン