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ゴンちゃんの探検学校

わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリースタイルスキー、モーグル競技では10年間にわたり全日本タイトル獲得や国際大会で活躍。引退後は冬季オリンピックやフリースタイルワールドカッ…
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2021年1月の記事一覧

「4年後」の意味

2010年3月6日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  バンクーバー五輪も幕を閉じ、活躍した選手たちの模様がテレビに流れている。今回、金メダルはなかったが、選手にとってはそれぞれに大きな収穫があったのではないかと思う。  4年に一度行われる五輪。僕は選手時代、この4年の意味についてよく考えた。  リレハンメル五輪の時に大きな失態を犯してしまった僕は、悔しくて五輪期間中は眠れないほどだった。それからの4年間は自分があれほど下手な選手ではなく、世界に通じる選

上村 ターンの真骨頂

2010年2月20日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  バンクーバー五輪、女子フリースタイルモーグル決勝。スタート前、上村選手は大きく深呼吸をした。視線はコブのライン上に向けられる。集中力が研ぎ澄まされているのが、モニターを通じてもわかった。  スタート直後からスピードに乗り、最速ラインを滑り降りる。第1エアーを見事に決めてスムーズにラインに入る。しかしスピードに乗った中盤、僕は一瞬背中に冷たい物を感じた。彼女の体が遅れ、後傾になったからだ。しかし、彼女

最初のスポンサー

2010年2月13日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  バンクーバー五輪の取材へ出かける直前、まもなく2歳になる我が子の水泳教室をのぞいてみた。  1年ほど前から教室に通っている息子は最初は怖がって泣いてばかりで顔を水につけることも嫌がったが、今ではプールに入ると大はしゃぎして遊ぶ。  僕もスキーを始めた子供時代、寒さとチクチクするセーターを着せられて冬は外に出ることすら嫌だった。しかし、そんな僕を見て父が雪の話をしてくれた。

緊張を味方にする

2010年2月6日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  緊張のあまり失敗してしまったリレハンメル五輪の4年後、僕は再び長野五輪のスタートエリアにいた。  あと5人でスタートという時に、僕は気合を入れるために自分の両ほほを両手で思いっきりはたいた。その時、誤って鼻までたたいてしまったために鼻血が出た。あわてて近くのサービスマンにティッシュをもたった。両鼻穴にティッシュを詰めて、自分の顔の状態を確かめるべく、手鏡を借りて見る。するとそこには何とも間抜けな顔が映

五輪のプレッシャー

2010年1月30日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  バンクーバー五輪がいよいよ2週間後に迫ってきた。スケートの高木美穂選手は若干15歳で代表選出、岡崎朋美選手と里谷多英選手はいずれも5度目の出場となる。世界に挑む中学生の姿や、何度もその重圧を経験しながらも挑戦を続ける選手たちの情熱には頭が下がる思いだ。    代表に選ばれるまでの道のりは険しく、五輪に臨む緊張感は独特なものだ。僕はつい、自分が五輪に出た時のことと重ね合わせてしまう。僕にとって五輪とい

遺伝子が記憶する冒険

2010年1月23日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。   ヒマラヤに登山に出掛けるたび、果てしなく広がる乾いた大地と、抜けるような青い空に魅入られてしまう。日本とはかけ離れた景色なのに、どこか懐かしい感じがする。  縁もゆかりもないはずの土地にノスタルジーを感じる経験は誰にでもあるのではないだろうか。僕がヒマラヤに感じる懐かしさはいったいどこから来るのだろうか。最近その答えのヒントとなるような出来事があった。

性格を思い描いて観戦を

2010年1月16日日経新聞夕刊に掲載されたものに修正加筆したものです。  バンクーバー五輪が近づいてきた。  すでに五輪内定した選手にとってはこれからが最終調整の時期であり、まだ出場が決まっていない五輪候補選手にとっては今が正念場である。  僕はやはり自分自身が出場したフリースタイルスキーのモーグルへの思い入れが深く、一番楽しみにしている。  モーグルはでこぼこの斜面をいかに華麗に、スピーディーに滑り降りながら、その中で行う2つのエアの難易度と完成度を競う採点競技だ。現在

感覚の伝達 難しく

2010年1月9日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。   年末年始はいつものように北海道のサッポロテイネで過ごした。スキーシーズン初めのこの時期、ここで道具と技術の調整を行う。  久しぶりに雪の上に立つのは新鮮な心地だ。雪のない季節が長いため、自分がスキーヤーだったことさえ忘れかけている。本当にスキーができるのであろうかと恐る恐る斜面を降りてみる。  ターン時の体重移動、微妙なエッジの感覚、足の裏のプレッシャーポイントなど。一つ一つ確かめる。技術の確認と追

冬の富士山の悲劇

2009年12月26日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  片山右京さんの遭難の一報を父と北海道のスキー場で聞いた。冬富士山の厳しいコンディションが牙をむき、風によって片山右京氏の同僚2人がテントごと吹き飛ばされ、遭難死という悲しい結末となってしまった。  片山氏の今回の富士登山は南極最高峰ビンソンマシフ(4892㍍)遠征に向けたトレーニングだった。極点に近いところに位置するビンソンマシフは、気温は氷点下50℃、風速50㍍の風が吹き荒れる。装備チェックなど

ジェット機人間に拍手を

2009年12月19日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  12月9日、東京の六本木ヒルズで第1回「ファウストA.G.アワード」の表彰式が行われた。ファウスト・アドベンチャラーズ・ギルド(ファウストA.G.)という新たに発足した団体が、世界中の冒険家をたたえるという趣旨だ。  この団体は「冒険、挑戦、貢献」をテーマに活動する40代の男性が中心となった「ジェントルメンズクラブ」。いわば男性が集う有志の会だ。アドバイザーにはプロアスリートや冒険家、登山家、ト

最初の感動

2009年12月12日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  以前、このコラムで紹介したヒマラヤの「ホテル・エベレスト・ビュー」まで一緒に旅をした田淵隆三先生の絵画展に行ってきた。  不思議なもので、山でそれらを拝見したときの感動よりも、東京で見るときのほうが明らかに迫力を感じる。絵に込められた、清らかな中にも荒々しいヒマラヤの空気が、都会では一段と際立つということなのか。

ネットのせい?おかげ?

 パソコンやインターネットが存在しない世界は考えられなくなった。このコラムを書く時も、世界中の論文から話題まで幅広い情報、画像や動画などを参考にしている。  情報の発信が劇的にしやすくなったのもネットのおかげだ。最近の登山でも同じようなことを山の中で求められている。中国の聖火隊がエベレスト山頂に上ったシーンは、ネットを通じてほぼリアルタイムで公開された。  僕たちの登山隊もこれまでの遠征すべてでインターネット配信を行っていた。08年の遠征では日記や写真に加え父の不整脈の状態

ピークを合わせる

2009年11月28日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  茶色い落ち葉の塊がうっすらと雪化粧を始め、空気が冷たくなる季節になると、心が締め付けられるような緊張感に襲われる。それは、小さいころからスキーに携わり、そのシーズンの到来を心も体も準備をしているからではないだろうかと考える。  先日、上村愛子らモーグルの日本代表チームが冬本番に向けて合宿のため、フィンランドに向かった。この合宿の後、ワールドカップ、バンクーバー五輪と続いていく。  シーズンに備え